仏像名

ふりがな  やくしにょらいざぞう

高山寺
制作年代

    重文
奈良時代

薬師如来坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木心乾漆造

樹 種

像 高

73cm

製作者

安置場所

開扉期間

解 説

 京都国立博物館に寄託

 高山寺はもと高雄の神護寺の別院であったと伝えている。しかし、この薬師如来像は奈良末期に流行した木心乾漆像で、作風にもこの頃の特色が現れているので、神護寺の前身高雄山寺と並んで、古くからこの栂尾の地に高山寺があったと思われる。
 奈良後期から平安前期までの薬師信仰は、七仏薬師に対すて薬師悔過を行なった点に特色がある。
 天平十六年(744)、に諸国に命じて七日間の薬師悔過を行なわせた事があり、これが薬師悔過の初めといわれるが、これは七仏薬師経が日本に伝わり、次第に流行し始めた時期と一致する。
 国々が政府の命令で薬師悔過を行なう場合、国分寺が法要を行なう場所になるが、薬師悔過が必要になるのは、延暦二十四年(805)の場合は桓武天皇の病が重くなった為であり、弘仁十三年(822)、の場合は凶作の為であった。
 その法要は昼の間は、大般若経を読み、夜になって薬師如来像の前で懺悔する。この場合、個人の犯した罪を懺悔するのではなく、天皇の政治に不正があった事を、懺悔するのである。
 天皇の病はもちろん、戦争、飢饉、疾病、天変地異などの大災害は、全て天皇の政治の不正によって、無実の罪をきせられ、惨酷な処刑を受けて死んだ人々の怒れる霊魂、すなわち御霊のなせる業と信じられていたからである。
 ところが、逆党藤原仲麻呂が山林寺院に密かに人を集めて悔過を行なったという事で、天平宝字八年(764)、の勅によって、山林寺院における悔過が停止される事になった。
 これは仲麻呂が悔過にことづけて、孝謙上皇を呪い、国家を傾ける謀議を行なったからで、薬師悔過の実態の一面を物語っている。
 この停止令も宝亀元年(770)、になって、僧達の強い要望があって解かれる事になった。高山寺のこの薬師如来像も、この様な薬師信仰が流行していたころに生まれたのである。「京都の仏像」 淡交社 1968年より

 高山寺に伝わる薬師三尊の本尊。端正な面貌・胸・腹部の穏健な肉取り、衣文線の流れなど全ての点で天平後期の特に東大寺派の手法を示す仏像である。
 それだけに個性に乏しく、類似的な弱さは否定出来ない。端正な顔貌に漂う繊細な感じは、すでに天平も盛期を過ぎて末期に入っていることを告げている。
「仏像ガイド」 美術出版社 1968年より

私 の 想 い

京都国立博物館に寄託されているという。この薬師如来像の脇時の日光、月光両像は、珍しく半跏像であったようである。

本尊薬師如来は京都国立博物館にあり、日光菩薩半跏像は東京国立博物館にあり、月光菩薩半跏像は東京芸術大学にあるという。元々は一つ寺で過ごしていた三体が、長い歴史の中で翻弄されて、ばらばらに散逸してしまった。
 そこで、博物館の企画として、現在はばらばらになってしまった仏像を展覧会の期間だけ、一つ屋根の下で拝観出来る機会を、演出するのも国立博物館の仕事ではないか。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」で奈良国立博物館を訪れた時に、次のように書いている。
 今日は朝方雨が降ったようで、道路がぬれているが、八時頃には雨は上がって、明るくなって来た。インターネット喫茶で、ブログやメールをしていると、すぐに時間が経ってしまう。十時になっており、ホテルに戻って電車で、奈良国立博物館に行く事にした。
 ボランティアで定年退職した先生だった人達が、各部門に机をおいて、待機している。そこで、奈良国立博物館所蔵と各寺から預かっている仏像の区別とか、仏像の画像等を見る事が出来るのかと、問い合わせたが、詳細は判らないという。
 ここの学芸員に昼から説明してもらえるというので、それまで図書室で待つ事にした。図書室の書籍も区立の図書館と違って、仏像の専門書が数多く所蔵されている。どれもこれも観たいものばかりである。それらの書籍の写真を観て時間をつぶし、レストランでラーメンを食べて、午後一時まで待つ。
 学芸員の方が現われて、結論は
 Q1.寺の所蔵だが、奈良国立博物館で預かっているもののリストは、
 A(学芸員) 無い。
 私のA    本当はあるけれども部外秘になっている。(私の想像)
 理由 何でそんな質問をするか。寺の所蔵になっていると、資料に載っているが、実際は国立博物館にあるというケースを何遍も経験している。
 Q2.国立博物館所蔵の仏像のリストは、と聞くと、
 A(学芸員) 図録と言うのを売店で売っているので、それに載せているという。
 私のA 判りました。図録を買い求めます。建前はそうであっても、実際は、私もチェックをした訳でないので、全てがその図録とやらで、解決出来るのか判らない。
次に要望ですといい。
 1.何でそういう風に現状がなっているのかは、知りませんが、奈良国立博物館の入口正面には、
   秋篠寺の所有の梵天立像と伝救脱菩薩立像が迎えてくれる。
   秋篠寺には、あの有名な伎芸天像と対称の位置に帝釈天像がある。
   四像とも、頭部は脱活乾漆造で、奈良時代の作であり、体部は木造で鎌倉時代というので、補修の仕方も、同じ時期にしている。
   四像は一つ屋根の下で生活を共にしていたのではないだろうか。
「それならば、博物館の計らいで、一堂に一時的に、還して上げますという企画をお願いしたい」
と要望した。
「そういう企画は、今までも行いましたが、今後も行います」
だと。糠に釘で効き目がない。いつどこで、やりましたでもなく、十年前にやったかも知りませんが、
「少なくても、私の知る限りで、私が提案した企画を、聞いた事がない。私も東京国立博物館には、仏像の展覧会には、必ずと言っていいほど、通っております。」
 私が博物館の企画マンならば、あれも、これもと提案して、仏像マニアを喜ばせ、仏像の良さを知らしめて上げたい。糠釘に話してもしょうがない。

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