古寺巡礼
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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 京都編2

名  称

ふりがな  

こうざんじ

高山寺

俗称又は愛称

右京区梅ヶ畑栂尾町8

最寄駅

開  祖

沿  革

後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺」で知られる当山は、宝亀五年(774)光仁天皇の勅願によって開創され、神願寺都賀尾坊といったが、弘仁五年(814)栂尾十無尽院と改称された。
 その後、貞観十八年(876)には後の十三代天台座主となり、天神縁起絵巻で菅公の怨霊を鎮めたといわれる法性房尊意僧正が、十一才より四年間当山で修行し、大いに法力を得たと伝えられている。
 鎌倉時代、明恵上人(成弁、後に高弁と改名)が出て、後鳥羽上皇・近衛・鷹司・西園寺家等の帰依により堂坊を復興し中興開山した。
 明恵上人は、後鳥羽上皇の院宣によって南都東大寺の華厳を根本とし戒蜜禅を兼ねた寺とし、1206年に勅額「日出先照高山之寺」を賜わったので、寺号を「高山寺」と改称した。
「高山寺略記」より

私の想い

桂川の右岸(河川の左右は下流に向って云うのだそうだ。旧建設省で聞いた)の松尾駅でタクシーに乗り、有名な渡月橋より一つ下流の橋を渡り、左岸を渡月橋まで登って行った。渡月橋をバックにして、河原で石切り投げをしている写真が修学旅行にあった。
 十年近い歳月が過ぎていた。渡月橋と桂川と舞妓さんと嵐山の山並みが京都の定番である。嵐山の新緑が桂川を越えて美しい。5月5日は端午の節句で幼少の五歳の男児を祝う日である。桃の節句は春のはじめの桃の花が咲く頃で、花の節句とも云う。女児を祝うに相応しい、静的時期でもある。対して、端午の節句の時期は、草木の青葉若葉が芽吹き、繁らせる動的な時期で、男児に相応しく、勢いのある時期である。
 昭和45年5月、新緑の谷間を縫って走る周山街道より、入る参道は静寂と言うより、清々しい5月そのものであった。石水院の縁先から、今通って来たばかりの谷間の周山街道を下にして、向いの山々は、松の深緑と、もみじの薄緑とで染まり、うっすらと霧が懸かり、山水画を見ているようである。
 前回は娘が高校生の時に来た。夏休みに大阪へ友達と単身赴任の私の所に遊びに来た時だった。日曜の一日京都観光をしてあげようと思い、ここに案内した。国道162号沿いの駐車場に車を止めて左手の山に入って行く。高山寺石水院で受付をして、縁側で抹茶を頂こうという訳だ。
 平安時代に僧明恵上人が、ここで修行されたという。明恵さんは美男子のために、女性から逃れるために、自ら耳を切り落としたと言う。美男子にも持て過ぎての悩みがあるのだ。勿体無い話だが、本当で、上人の肖像彫刻にも耳が無い。
 鳥獣人物戯画が有名で、蛙や兎が相撲を取っている絵を教科書や写真で見た覚えがあるだろう。あれの元がこの寺にある。
 平成16年5月、石水院では、川のせせらぎと鳥の鳴き声とカジカ蛙の鳴き声が混じって聞こえる。この辺りの松も松食い虫に遣られて、枯れた松の木が赤茶けて立っている。山も乱れて、放ったらかしになっている。
 客間に通されて、抹茶を一服頂く事にした。500円でお茶菓子付きである。

高山寺画像一覧 高山寺の写真が楽しめます。
高山寺所蔵仏像
薬師如来坐像 日光菩薩半跏像 月光菩薩半跏像 
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1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上