当山は、松本市の南東、鉢伏山の中腹、海抜千mの幽谷の地に位置し、山号を金峯山(きんぽうさん)、寺号を牛伏寺(ごふくじ)と称する真言宗の古刹です。古来より厄除祈願の殿堂として、広く県内外に知られ、特に一月の成人の日を中心とする「厄除縁日大祭」は、県下最大の規模を持ち、例年十万余の参詣者が訪れます。
寺伝によると、御本尊十一面観世音菩薩は、聖徳太子四十二歳の御時、ご自身の発願により建立されたご尊像とされております。その後、天平勝宝七年(756)唐の玄宗皇帝が楊貴妃の菩提を弔うため、長野の善光寺へ大般若経六百巻を納めようと中国から日本へ渡り納経の途中、経巻を積んだ赤・黒二頭の牛が当寺の麓で同時に斃れ、その使者達は本尊十一面観世音菩薩の霊力を知ることとなり、この経巻を当山に納め、二頭の牛の霊を祀り帰国しました。この不思議な因縁により寺号を普賢院から牛伏寺と改めました。
参道中程の「牛堂」にはその縁起により、赤黒二頭の牛像を祀っております。御本尊厄除十一面観世音菩薩は秘仏になっており、三十三年に一度の御開帳が行われ、次回の御開帳は平成二十九年(2017)春を予定しております。
当山には御本尊を始め、八体の諸尊が国の重要文化財に指定されており、その他平安時代から室町時代に及ぶ諸尊像には、県宝三体、松本市重要文化財二十数件に及び、東日本屈指の規模を有しております。また、現境内地は十五万坪に達し、長野県の「郷土自然環境保全地域」に指定されております。
建造物については、本堂に当たる「観音堂」は、江戸時代後期、正徳三年(1713)、「仁王門」は、享保十一年(1726)、茅葺の「如意輪堂」は、寛政十年(1798)、の作であり、四季折々の変化に富んだ山容、伽藍は荘厳な趣きに溢れており、法灯千有余年を継承しております。
「金峯山 牛伏寺」縁起より 2013年12月
|