仏像名 |
あみだにょらいざぞう |
願成就院 |
国宝 鎌倉時代 |
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阿弥陀如来坐像 |
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様 式 |
文治二年(1186) |
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俗称又 |
製作材質 |
木造、 |
樹 種 |
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像 高 |
142cm |
製作者 |
運慶作 |
安置場所 |
収蔵庫 |
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開扉期間 |
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解 説 |
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運慶が鎌倉新様式を確立した金字塔ともいえる像。圧倒的な量感をもつ力強い体躯、写実的な衣の襞などが、彫りが浅く穏やかな平安後期の定朝様との完全な決別を示す。 目は、当初は玉眼を入れていたことが判っている。 胸前で結ぶ説法印は平安時代前期の像に多い印相。重厚な体質とともに、運慶が京都・広隆寺講堂の阿弥陀如来像のような古典彫刻に学んだことを示すとされる。 両手を胸前にあげて説法印を結び、結跏趺坐するこの阿弥陀如来像は、神奈川県浄楽寺の阿弥陀如来像との様式的類似、願成就院に伝わる文治二年(1186)の銘札、及び「吾妻鏡」の記事等から、運慶が文治二年に北条時政の発願により制作した尊像と考えられる。 願成就院がある伊豆半島北部の伊豆の国市は後に鎌倉幕府の執権となる北条氏の地元だった。平治の乱で平家に敗れた源頼朝はこの地に20年配流され、1180年に挙兵した。9年後、頼朝が奥州に出兵する際、妻政子の父の北条時政が戦勝祈願で建てたのが願成就院だ。 |
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私 の 想 い |
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胸の前で指先を上に向けた説法印という印相を結んでいる。指先が両手とも失われているので、どの指が親指と着いていたのか判らない。「日本の仏像」の解説絵では、中指になっている。上記の解説に出ている、京都・広隆寺講堂の阿弥陀様は、薬指である。想像を巡らす余地を残してくれる像である。指先を大きく写した写真では、薬指が深く内側に曲がっているので薬指か。完全に欠落している人差指の可能性もある。 |
願成就院所蔵仏像 |
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