仏像名

ふりがな びじゃもんてんりゅうぞう

願成就院
制作年代

国宝
鎌倉時代

毘沙門天立像

様 式

文治二年(1186

俗称又は愛称

製作材質

木造、古色
玉眼

樹 種

像 高

148cm

製作者

運慶作

安置場所

大御堂

開扉期間

解 説

 大きく見開いた目に射貫くような鋭い光を放つ玉眼の瞳。固く結んだ口元と、筋肉が隆起した張りのある頬。その凛々しい面立ちが新時代の到来を告げる。
 あえて抑制をきかせた表情に、鎌倉武士と仏師・運慶の気概が満ち溢れる。
「日本の仏像 願成就院と浄楽寺 運慶仏めぐり」より 講談社 2008年

 引き締まった胴と腰を大きく左にひねり、右足を踏み出す毘沙門天。明快なその動きには、寸分の無駄もない。
 装飾を排した甲が、一層質実剛健の気風を感じさせる。頭部を支える厚い胸と肩のバランスが秀逸である。
「日本の仏像 願成就院と浄楽寺 運慶仏めぐり」より 講談社 2008年

 小さめの頭部、厚い肩や胸、引き締まった胴部、腰高の容姿は、揺るぎない安定感を持ち、たくましい東国武士の姿を彷彿とさせる。
 この形は、運慶から息子・湛慶や肥後別当定慶など、次世代に受け継がれる。
「日本の仏像 願成就院と浄楽寺 運慶仏めぐり」より 講談社 2008年

私 の 想 い

 右手は肘を横に張り、肩の高さで前に出して戟を握る。腰を左に曲げた分だけ、右脇が大きく開いている。
 左手は脇を締めて肘をV字に折り、手の平を肩の高さに前に開き、多宝塔を載せる。驚いたような大きく見開いた眼で、多宝塔を差し出す。両方の肘から袖口が垂れ下がる。
 猪首を甲冑の襟が守る。福与かなお顔の若い毘沙門天様である。足元の邪鬼は、若い大将には逆らえず、完全にのびている。
 平成20年の訪問では、次のように書いている。
本尊+二脇侍の形式を三尊形式という。本尊が阿弥陀様だと、通常は聖観音と勢至菩薩が脇侍となり、本尊の両脇を固める。ところが、本尊+毘沙門天+不動明王の三尊形式が存在する。
 京都・峰定寺では、本尊は千手観音で脇侍が毘沙門天と不動明王二童子である。このことから、私が勝手に本尊+毘沙門天+不動明王の組み合せを称して、峰定寺式変形三尊形式と名付けた。この願成就院は、阿弥陀様+毘沙門天+不動明王二童子の全部で五尊の組み合せである。
 運慶はこの東国で、峰定寺式変形三尊形式を願成就院と浄楽寺で二度も試みている。それだけに並々ならぬ決意で、雅よりも武勲を前面に出した、武家社会を意識したものを感じるのである。
 中でもこの毘沙門天の堂々たる体躯と力強さを感じるのである。頼もしい脇侍が阿弥陀様を御守りしているのである。

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