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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 東北編

名  称

ふりがな

がんじょうじ

願成寺(白水阿弥陀堂)

俗称又は愛称

白水阿弥陀堂と呼ばれている

いわき市内郷白水町広畑219

最寄

JR常磐線
湯本駅

開  祖

沿  革

 真言宗智山派の古刹で、無量寿院願成寺と号する。国宝の阿弥陀堂があるので、俗に白水阿弥陀堂と呼ばれる。
 寺伝では、奥州藤原氏一族の徳姫(徳尼御前)が、亡夫でこの地を治めていた岩城則道の冥福を祈って出家し、念仏供養をするための常行堂を建立したのが始まりという。白水という堂名は、徳姫が故郷の平泉を思い、泉の文字を二分して名づけたとされる。
 徳姫は藤原清衡の娘といわれるが、堂内の古材に永暦元年(1160)、の記録があることや阿弥陀三尊像の作風が、中尊寺金色堂の西南壇(2代基衡壇)のそれと似ていることから、3代秀衡の妹ではないかとする説もある。
 国宝の阿弥陀堂は、方三間単層宝形造りで、屋根は美しい勾配を描く。堂内は、常行三昧堂の様式である。かつては四天柱のほか、天井・長押や須弥壇背後の来迎壁に、鮮やかな彩色で極楽浄土の世界が描かれていた。現在もその一部が現存している。
 阿弥陀堂を囲む浄土庭園は、昭和五十二年(1977)、に復元された。池泉には中島が浮かび、その南に南大門跡、北に阿弥陀堂がある。中島にはふたつの橋が架かり、阿弥陀堂と南大門を一直線に結ぶ。
 南橋下には、平成十年(1998)、に開花した中尊寺蓮が咲く。藤原氏4代泰衡の首桶から発見された種が発芽したもので、中尊寺から寄贈された。「蓮沼の御堂」とも称された白水阿弥陀堂は、経塚山を借景に優美な姿で佇む。
「古寺を巡る 中尊寺」より 小学館 2007年

 願成寺国宝白水阿弥陀堂は、今を去る約八百五十年前、人皇二条天皇の御宇、永暦元年(1160)三月、鎮守府将軍藤原清衡の娘であった岩城の国守岩城太夫則道公の夫人徳姫が、茲白水に霊地を得て、一寺を建立し、無量寿院願成寺と称し、大徳の智徳上人を第一世として住持された。
 姫は則道公の没後、智徳上人に帰依し、剃髪して徳尼御前と呼ばれ、亡夫の冥福を祈らんがため、この地を選んで阿弥陀堂を創立したのである。御堂の両側には広大な浄土庭園が造営され、今日その復元をみたのである。
 白水の地名は、徳姫の故郷奥州平泉の泉を分字して白水と名付けたと伝えられている。
「国宝 願成寺 白水阿弥陀堂」 沿革より 2010年

私 の 想 

 昨年の会津に続いて今年は、いわき市の寺を訪問する事にしました。以前に世田谷美術館で中尊寺の国宝の仏像を拝観しました。
 これ等の仏像を想定して、奥州藤原氏の娘がいわき市に平泉と同じ阿弥陀堂と仏像を造り上げたのである。ここの阿弥陀堂も金色堂に似た造りである。仏像の構成も似ている。
 白水阿弥陀堂は、背中に小高い山を背負った開けたところにある。遠く平泉から嫁ぎ、金色堂に似せた阿弥陀堂で亡夫の冥福を祈る。
 金色堂での祀り方と同じ方法ということで、奥州藤原氏の威厳を示す。また、阿弥陀堂を建てた大工も内蔵の仏像を彫った仏師も故郷の工人を呼び寄せて、造立したのである。阿弥陀池と阿弥陀堂とが極楽浄土への入口である。 阿弥陀池に架かる橋の脇には、萩の花が咲き始めていた。

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