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古寺巡礼
仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 山梨編

名  称

ふりがな

ほうこう

放光寺

俗称又は愛称

甲州市塩山藤木2438

最寄

開  祖

沿  革

 真言宗智山派に属す。元暦元年(1184)甲斐源氏新羅三郎義光の孫安田遠江守義定の創立。開山は賀賢上人。初めは平安朝時代に山岳仏教として大菩薩峠の山麓一之瀬高橋に建立したもの。寺は往古においては修験者の根本道場であり、延宝年間山城国醍醐寺報恩院末になり、明治27年に智山派に属し、京都智積院末となる。その間甲斐国談林七ヶ寺に数えられている。初めは法光寺と云ったが、今日の放光寺と定めたのは天正十七年(1589)伊那熊蔵の寺領証文に見えるのが最初である。安田一門の悲劇を産んで以来は武田の護持を受け、特に信玄は祈祷所と定め寺領を寄進した。天正十年(1582)織田信長の兵火をこうむって一山ことごとく無に帰したが、徳川氏の保護を受け寛文年間には義定の直子孫保田若狭守宗雪が中興開基となり現在の基礎をなした。
高橋山放光寺(略縁起)より 2011年

私 の 想 

 放光寺では先代の僧侶が案内をしてくれました。そしてその中で仏師成朝の名前が出て来ました。成朝は仏師定朝の系譜を正統に継ぐ仏師であり、京都、奈良から東国へ最初に飛び出した仏師である。朝廷や公家の貴族社会を中心にした造仏から、地方豪族や武家社会へ、造仏の受注先を変える先駆けを造った人である。運慶を調べている中で、運慶は、成朝の後を追って東国に進出したという。その成朝の足跡がここに在ったのに驚く。これからも成朝の作品を探しながら拝観したいものと思っている。

放光寺寺画像一覧その1
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