仏像名

ふりがな  あみだにょらいざぞう

清凉寺
制作年代

国宝
平安時代

阿弥陀如来坐像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造
漆箔

樹 種

像 高

178cm

製作者

安置場所

霊宝館

開扉期間

解 説

嵯峨天皇第十二皇子源融(みなもとのとおる)公の供養のため、その子息が造立した尊像である。源融は光源氏のモデルに目される風流貴公子であり、この尊像も源氏物語の光源氏の面影を伝えるとも言われる。
「清凉寺縁起」より

 源氏物語の光源氏のモデル、「源融(みなもとのとおる)が造らせた像で、源氏物語にも「嵯峨のみ寺」とうたわれた「棲霞寺(せいかじ現阿弥陀堂)」の旧本尊、当寺最古の像であります。
 阿弥陀堂は、元、融公の別荘「棲霞観」で、この像は融公がこの地で亡くなる直前に、自分の顔に似せて造らせたという、「光源氏写し顔」の伝説を持っています。
 中尊の阿弥陀仏は、顔相ひきしまり、肩広く胸厚い堂々たるたくましい造形。左右の観音・勢至は、密教の手印を結ぶ極めて珍しい形で他に例がありません。又、張った肩、豊かな手足に対して極端にくびれた腰は特殊で、神秘的かつ官能的な表現です。三尊共にヒノキの一木造りです。
「霊宝館特別公開」案内より

 木造漆箔の像で、体躯も堂々とし、膝高も厚味があり、衣の襞の高いうねりも如何にも荘重である。棲霞寺は嵯峨帝の子源融の別荘を寺としたもので、像は天慶八年(945)に新堂の造られた時の作といわれているが、寺に改られたのは、融の一周忌の寛平八年(896)で、像も同時とする説がある。天慶九年(946)の岩船寺本尊よりむしろ延喜九年(909)ごろの醍醐寺薬師像に近い要素を持つ。
「仏像ガイド」 美術出版社 1968年より

 棲霞寺は源融が山荘棲霞観を寺としたもので、本像はその本尊として寛平八年(896)、に造られた。定印阿弥陀像としては、一番古いものに目される三尊共に、やや肩張りの強い、膝の高い、厚味のある肉付けが見られ、実に堂々とした体躯を示している。ことに観音・勢至の示す手印は他に例を見ないものである。
「阿弥陀仏彫像展 奈良国立博物館 1972年」より

私 の 想 い

上品上生の印相をされている。脇を締めて、自然体で吉祥座の座禅を組んでいる。肩の力も抜けて瞑目に集中している。光背には十三仏が配置されている。
 阿弥陀様らしい、阿弥陀さんである。お顔の整った働盛りの壮年の阿弥陀さまである。

阿弥陀如来坐像画像一覧その1
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阿弥陀如来坐像
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