仏像名

ふりがな とばつびしゃもんてんりゅうぞう

清凉寺
制作年代

重文
平安時代

兜跋毘沙門天立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

184cm

製作者

安置場所

霊宝館

開扉期間

解 説

かつて、平安京羅城門の上に、都の守護のために安置されていた。東寺の像を模したもので、中国の西域シルクロードの影響が特徴です。地天女とニラン婆ビラン婆の二鬼が支えています。
「霊宝館特別公開」案内より

 兜跋というのは吐蕃(とばん)が転化して出来た言葉だろうと云われている。吐蕃は今のチベットであるが、漠然と中国の西方を意味したのであろうか。
 唐の天宝元年(742)、に天山南路一帯を守備していた安西都護府が、大食など五国の軍に包囲された。玄宗皇帝は不空に毘沙門天の加護を祈らせたところ、安西城北門楼上に兜跋毘沙門天が現れて、敵を追い払ってくれた。兜跋毘沙門天にはこの様な伝説が伝えられている。
 清凉寺像の手本になった東寺の兜跋毘沙門天像は、唐で造られた像で、もと平安京南端中央にあった、羅城門の楼上に安置され、安西城の故事に倣って、平安京の守護神になっていた。
 清凉寺像も比叡山の延暦寺と対抗して、愛宕山に一大伽藍を営もうとした「然が、宋に留学中兜跋毘沙門天の事を見聞し、帰国後平安京鎮護のため、この像を造ろうと考えた事が、その製作までの経緯としてあったのではないだろうか。
 この毘沙門天像は、左右に尼藍婆、毘藍婆二鬼を従えた地天の両手の上に立ち、正面に鳥形が浮彫りされた宝冠を戴き、胴に金鎖甲、腕と足に海老状の籠手と脛当てを着け、下半身が著しく長い事など、一般の毘沙門天像と異なる種々の特色がある。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

私 の 想 い

右手は脇を開けて肘を深く折って、前で戟を肩の高さで外から握る。左手も脇を開けて肘を深く折って、手の平を上にして、同様に肩の高さで多宝塔を開き気味に乗せる。
 地天女の手の平と、両脇の邪鬼の肩がそれを支える。東寺の毘沙門天に非常に良く似ている。異国情緒の残る毘沙門天さんである。

兜跋毘沙門天立像画像一覧
兜跋毘沙門天立像
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