古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編2

名  称

ふりがな

こうふくじ

興福寺

俗称又は愛称

所 在 地

奈良市登大路町48

最寄駅

近鉄線
奈良駅

開  祖

沿  革

興福寺は天智天皇八年(669)中臣(藤原)鎌足の私邸(山城国宇治郡山階)に建てられた山階寺(やましなでら)を起源とし、天武朝には大和国高市郡に移って厩坂寺(うまやさかでら)と称されました。
 元明朝の和銅三年(710)に都が平城に遷されると、鎌足の子息藤原不比等(ふひと)は、厩坂寺を新都に移すべく、平城京左京三条七坊の地に寺地を確保して寺名を興福寺と改めました。
 和銅七年(714)に金堂が創建され、不比等の一周忌の養老五年(721)に北円堂が建立されました。その後、聖武天皇や不比等の娘である光明皇后の発願によって東金堂や五重塔が建てられ、やがて、七堂伽藍の大寺院になりました。
 奈良・平安時代に寺観・内容ともに充実した興福寺は、藤原氏の氏寺として栄え、平安中期以降は春日社をも支配して勢力を拡充し、法相(ほっそう)教学を研鑽する法相宗の大寺として南都仏教界の重鎮となりました。
 しかし、長い歴史のなかで、戦火や天災などによって度々堂塔が焼失しました。特に治承四年(1180)の兵火は興福寺を焼亡させましたが仏師院尊や成朝・明円・康慶・運慶など有名な巧匠たちが参画した、いわゆる鎌倉復興造営が行われました。
 鎌倉時代は武士勢力が強くなりましが、幕府は大和に守護職を置かず、興福寺をしてその任に当たらせたという事は、往時の興福寺が各方面に与える影響が、いかに大きかったかが判ります。
 戦国時代になると武士勢力が強大となり、織豊時代は検地によって寺領削減が行われ、寺院勢力の弱体化が進行しました。

 江戸時代になると、享保二年(1717)の大火で中心伽藍のほとんどが焼失しました。この火災では、かろうじて東金堂・五重塔・食堂・北円堂・三重塔・大湯屋が罹災から免れ、その後、ようやく南円堂と中金堂のみが再建されました。
 明治初期、神仏分離による廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が断行され、興福寺は瓦解同様の姿となりました。その後の努力で法灯護持がなされ、現在も、なお復興途上にあります。
「興福寺略史」より

私の想い

 最初の訪問は昭和36年5月頃の高校三年生の関西修学旅行である。五重塔を背景にした記念写真を撮った位の記憶しかない。
 仏像はまだ関心が薄く、極く一般的な高校生であった。その後、仏像に関心を持つようになり、阿修羅像や竜燈鬼や天燈鬼を拝観に行く様になり、昭和45年頃に八尾に住む事になってからは、奈良に来た時には、必ずといってよい程寄っていた。
 平成5年頃にまた、八尾に住む事になり、その時にも度々来ている。そして、今回の滋賀・京都の仏像観て歩きでは、最初は来る予定をしていなかった。
「仏像観て歩き」7をそのまま、ここに記す。
 昨日浅羽さんからメールを頂き、今日(22日)大阪に行く事になったので、12時に近鉄西大寺駅で待ち合わす事にしました。
 西大寺駅周辺では、西大寺(善財童子のかわいい合掌)、秋篠寺(伎芸天の美女姿)、法華寺(十一面観音の官能美)、東大寺戒壇院(四天王の男性の知性)等々、観たい仏像は限りが無い。あえて、今回の旅行は奈良を入れなかったのは、楽しみは後からという思いがあった。
 しかし、お世話になった、浅羽さんや矢口社長さんが、来られるのあれば、仏像の核心に触れる仏像を観て頂きたい。しかも今回の旅行から逸脱しない寺を選定して、秋篠寺、円成寺、柳生の里、浄瑠璃寺と浅羽さんと決めた。
 西大寺駅に12時ならば、宿題のパソコンを打つべきか、朝早く出発して、12時までに一箇所拝観してしまう手がある。どちらにしようか悩まない。東大寺戒壇院で四天王を観て来よう。
 大津のホテルを朝8時に出発して奈良に向かう。10時前に奈良に着いた。駐車場を探すのに奈良公園を車でゆっくりと廻っていた。
 すると、興福寺北円堂特別開扉、5月31日までの立看板を目にした。北円堂は運慶の作品がある所である。戒壇院は又の機会にして、迷わず北円堂に決めた。
 車を駐車場に入れて急いだ。時間が早くまだ、観る人がいない。北円堂を単独拝観の一人独占である。
 そのうちに、チリンチリンと鈴の音がする。リュックサックに着けた鈴が鳴っている。鈴も好いが暫らくすると飽きる。突然、尺八の物悲しい音色に変わった。
 傍若無人といえなくもないが、聞くに堪える技巧であるので許せる。下手の人なら、迷惑だ。物悲しいメロディーでさびの効いた音色に聞き惚れる。
 正面の方向を確認するために、受付の人に聞きに行った。内陣を確認する為でもある。運慶の晩年の製作として有名である。中央の弥勒如来坐像、無著菩薩立像、世親菩薩立像の三体が運慶の作という。これが運慶と見分けは出来ないが仏像彫刻で、そこまで出来るかと感心は出来る。運慶の作にはそこまで出来るかが在るのである。

北円堂の内陣

   広目天立像                                             多門天立像

           世親菩薩立像                                 無著菩薩立像

 大妙相菩薩立像      弥勒如来坐像     法苑林菩薩立像

   増長天立像                                            持国天立像

                                  正面入口

やはり、内陣は入口が南に位置していた。そこで、受付の人に聞いたのだ。
 平成十六年年九月に「興福寺国宝展」が東京芸術大学構内の美術館で開催された。五月の時に北円堂の隣で工事をしていたのは、中金堂を復興するための発掘調査であり、建設の準備をしていたのである。
 いよいよ、復興に当っての資金集めに、持てる国宝を披露して行こうというのである。第一弾の目玉は、無着、世親の御兄弟に登場してもらう企画である。
 いずれ、第二弾、第三弾と続けて行き、興福寺の仏像は外出で忙しくなる。阿修羅さんや五部淨さんも東京まで来る日がやって来るだろう。楽しみである。
 さて、今回の国宝展は東京芸大で開催と聞き奇異に感じた。通常、国立博物館での開催が普通である。しかし、普通人が芸大の構内に入る事などあまりない。お蔭で芸大も奏楽堂も知る事が出来た。
 集客力の面で、隣の東京国立博物館と比べると見劣りするかも知れない。私が心配する事ではないが。芸大の美術館もなかなかの設備を持っており、こうした展覧会をこれからもどんどんやって頂きたい。
 今日は朝から快晴の日曜日である。奈良地方は今日が桜の満開ではないでしょうか。日曜、祭日に興福寺東金堂が開くとあり、予定に入れていた。車で行くよりも、泊まっているホテルが、近鉄奈良駅の一つ手前の新大宮駅前である。
 車で行くと駐車場代が掛かるが、泊まるホテルに昼間は車を置いておいて、好いのか聞いたら、無料であるという。そこで電車で行く事にした。近鉄奈良駅に降りたのは、10年振りである。駅前通りの若草山方向を見て、奈良を実感する。
 昨年の5月に北円堂に入ったので、また、何かあるか立ち寄る。今回は何もない。前の南円堂へも寄ったが、ご開帳は6月6日という。それまでは居られない。南円堂にも観たい仏像がある。法相六祖像とかである。六つ一緒に観ることがない。単体では、観た事はあるのだが、またの機会に期待する。
 まず、東金堂から拝観する。第7日で書いた維摩居士と文殊菩薩のどちらが偉いかの答えが、この東金堂にある。薬師如来の前で両者が座っていらっしゃる。はずだが、講師台に位置する、向かって左側は、不在である。現在山口県で「興福寺展」へ出張中である。
 向かって右側には、文殊菩薩が一人お座りになっている。一人と言ったのは、文殊菩薩は、4人のお供を連れて旅をする。象や獅子に乗ったものが多い。
「三人寄れば文殊の知恵」
とか言うので、一人では不利である。勝負は決まったようなものである。
 また、両像を観て思うのは、今日は不在だが、東京の「興福寺展」で観ている。写真もある。維摩居士の風貌と手の表情の迫力が全く違う。
 一方の文殊菩薩は少年僧である。賢いお顔の少年だが、それは年齢や経験で維摩居士に決まりである。
 次に興福寺にまた戻って、国宝館を拝観する。ようやく半分位終わったところで、気力が失せて来た。また、来よう。時間を見ると3時である。腹もへったので昼食を食べる。
メニュー名
「大仏びっくりうどん」650円をたのむ。
「速さにびっくり、大きさにびっくり、安さにびっくり」
と店員にいうと
「そんなお客様にびっくり」
だと。
そして、最後に
「美味しさにびっくり」
でした。
 今日は午前中に奈良国立博物館で、奈良の寺所蔵の展示仏を記録して、帰ろうと思います。奈良国立博物館に向う途中で、「メーデー」の会場が奈良公園になっており、開会前の風景を見る事が出来た。
 時代の変化なのだろうが、組合旗の赤旗が極端に少なくなっている。また「メーデー」を盛り上げる労働歌も鳴り響かない。労働組合の平和ボケを象徴する「メーデー」です。
 これ程、いじめられている、働く人達の先頭に立てない労働組合は、何のために在るのか、頭を冷やして考えた方が好い。だらしない幹部のダラカンは。
 また、5月1日でなく、29日に「メーデー」を実施する事に、抵抗ないところが、今風と言えば言えなくもないが、過去の人たちの思いを無視する典型である。迎合もここまで来ると、末期症状である。
 ホテルに戻って、電車で興福寺に行く。1時を回っていた。南円堂で写真を買っている時に、今日もメーデーがあったという。先ほど、シュプレヒコールをしながら、下の道を通って行ったという。
 真面目な団体もあるのである。メーデーは5月1日に決まっている。曜日や何かで、連休の都合で変える、どこかの国の「国民の祝日」と違う。
 どこの団体か名前は聞かなくても大体は察しが付く。迎合しても好いものと、迎合出来ないものをはっきりと、意思表示をする事が大事である。労働者の代表として恥ずかしくない、先頭に立って頑張って欲しい。エールを送りたい。
 この興福寺で観たいのは、南円堂と仮金堂の仏像とである。南円堂は観る機会は今後もあるだろうが、仮金堂の仏像は、今計画中の工事が終了しないと無理だという。2010年の完成と言う。それまでは、写真で我慢する事としよう。

興福寺画像一覧その1
興福寺画像一覧その2
興福寺画像一覧その3
興福寺画像一覧その4
興福寺画像一覧その5
興福寺花華一覧その1
興福寺花華一覧その2
興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)
興福寺北円堂所蔵仏像
弥勒如来坐像 世親菩薩立像 無著菩薩立像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多門天立像
興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)

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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上