仏像名

ふりがな ばさらりゅうぞう

新薬師寺
制作年代

国宝
奈良時代

伐折羅立像

様 式

俗称又
は愛称

文化庁の指定は
迷企羅

製作材質

塑造
彩色

樹 種

像 高

156cm

製作者

安置場所

本堂

開扉期間

解 説

 奈良時代の建築の中に、当時の仏像がきら星の如くに安置されている様は、豪壮華麗である。化粧屋根裏、合掌式と相まって、この内陣の豪華さは東洋のギリシャと云っても過言でないだろう。あるいは剣を持ち、あるいは矢を持って円形の須弥壇上に、囲繞する十二神将は、我が国最古最大のものである。
 土の素材を生かして、顔面の筋肉の起伏がデリケートに表現されている。一体がそれぞれ七千の眷族の大将であるから素晴らしい。宇宙の将星、きら星如く並ぶ図である。
 造立された当時は群青、緑、青、朱、金箔などで塗られ実に、華麗なものであったろう。所々に残るこれ等の彩色で当時の様を目の当たりに偲ぶ事が出来る。
 十二神将は、干支の仏でもあり、初詣には毎年自己の守護神にローソクを供えるために、参詣する人も多い。
「新薬師寺抄」より

 十二神将とは薬師如来の十二の大願に、応じて表わされた神で、本尊の周囲にあって、これを守る。昼夜十二時護法神とも呼ばれ、又、後世のものには、十二支を頭上に着けたものもある。昼夜あるいは四季に渡って不断に衆生を守護するといった意味もある。
 十二神将で有名なものは、当寺のものを筆頭に興福寺の板彫り(藤原時代)、広隆寺の塑造(藤原時代)、興福寺の木造(鎌倉時代)、霊山寺の木造(鎌倉時代)がある。
 この伐折羅大将も、天平の憤怒形の彫刻中の傑作の一つである。十二神将は、薬師如来像の眷属として天平以来しばしば制作されたが、新薬師寺の十二神将像が、現存のものとしては最も古い。その一体の台座には、天平年間に造った由を伝える銘文がある。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

私 の 想 い

武器の名前は知らないが、使用せずに済んだ様子である。十二神将像全部が烈しい戦闘をしているというよりも、むしろ、使用しなくて済むものなら、そうしたいという場面が多い。
 烈しい怒りの表情もあるが、悔いた表情もある。苦悩している表情もある。戦争とはそういうものかも知れない。

十二神将・伐折羅立像画像一覧その1
十二神将・伐折羅立像画像一覧その2
十二神将・伐折羅立像
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所蔵仏像
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不動明王立像 制咤迦童子立像 矜羯羅童子立像 十一面観音立像
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