古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編3

名  称

しにゃくしじ

新薬師寺

俗称又は愛称

奈良市高畑福井町1352

最寄駅

開  祖

沿   革

 新薬師寺は聖武天皇眼病平癒祈願の為、天平十九年(747)、勅願により光明皇后によって建立され、新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたな」薬師寺という意味であります。
 当時東大寺と共に南都十大寺の一つに数えられ、四町四方の境内に七堂伽藍を並べ住する僧一千人と記録にあります。三十三年後の宝亀十一年西塔に落雷、瞬時にして炎上、現本堂のみが焼け残ったわけです。
 当寺所蔵の重宝は建築、彫刻、絵画、工芸など各部門にわたっており、時代も奈良時代より江戸時代に及んでいます。
 春夏秋冬、桜よく、萩よく、その古都さびた風情を求めて、古美術行脚の人達が一夜の杖を止める事も出来ます。
「新薬師寺抄」より

 昭和44年の夏に始めて、新薬師寺を訪れた時の記述は次のようにしている。
福智院から更に奈良盆地を東で遮る山の麓を、20分程歩いて行くと新薬師寺への案内板が、辻々に立っている。丁度、春日大社の南に当たる位置にある。
 土塀に囲まれた新薬師寺の境内が見えて来くる。これで、大安寺、極楽坊、元興寺、十輪院、福智院、頭塔で、ここを入れると七箇所廻った事になる。距離的には大安寺を除けばそれ程でもない。ところが、精神的には大変疲れた感じがする。
 それというのは仏像を観ただけでなく、それから何を感じ、何を連想し、何を考え、どのように言葉に表わせば適切か。情景にぴったりした言葉や説明がうまく出来たか、無い知恵を絞る。
 その緊張の連続であり、考える能力が低下して、どれもこれも同じ様に観えてしまう。投げ遣りな気持ちで仏像を観てしまう。
 新鮮さを失って気持ちが乱れる。気持を引締めて新薬師寺の門をくぐる。我々は新となっているから、西ノ京の薬師寺の分家ではと、想い勝ちだがそうではない。
 この事に対して新薬師寺は非常に神経を使って、誤解の無い様にと説明している。案内でお堂の隅に座っている人に、いろいろと質問をしてみた。
「ここの仏像の特長は」
「うちの薬師さんは御眼がぱっちりしている。日本一大きなお眼をしておられる事です」
成る程、そう言われるまで、その大きな眼に気付かなかった。

 新薬師寺の薬師様を拝観するのは、初めてである。写真では何回も観ている。丸顔の口ひげを生やした薬師さんとしか、思っていなかった。
 眼を大きく見開いた仏様として、新しい発見をした様で、親近感が湧いてくる。案内の人は、何処のお寺に行っても、自慢そうに、何に何で、日本一とか三大何に何にとかという、言い方をする。
 うがった考え方かも知れないが、その物はどれも一つしかない物である。となれば、どれもこれもみんな日本一になってしまう。
 だから、日本一とか、三大何に何にと言ったらば半分値引きして、受取った方がよい事もある。その辺は自分の眼で実際に確かめる事が肝心だ。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」では、次のように記述している。
次に新薬師寺だが、5,6回は来ているだろう。この寺の最初の訪問が一昨日、うかがった松井さんのお宅に居候をして、通った時である。その時の記述が前記である。
 さて、今回は平日で、車も少ない、正門のところまで来てしまった。駐車場代は無料なのだ。 そして、中に入って行くと、前回は本堂の解体修理中で工事現場のベニア板の通路で雰囲気がない。聞くと平成二年から平成七年まで五年間掛かったという。だとしたら、二回目の大阪勤務時代は丸々、工事中という事になる。
 まん丸おめめのお薬師さんの後ろに、十二神将が円形を描いて並んでいる。順番は不動のようである。
「どうして、順番に並んでないの」
と堂内の案内人に聞くと、この時代にはまだ順番は無かったという。それもおかしな話である。十二方位を守護する神様であるから、どの神がどの方向かは、決まって居たに違いない。ならば、決まっていない事にしよう。
 それなのに、どうして、案内板に干支も記して国宝 ○○羅大将立像、とするのかと言いたい。干支も書かずに並べるのが、順番は無かった証ではないのか。どうなんだ。
 十二神将の方位が、ここの十二神将の制作後に決ったのならば、干支の表記をせずに並べるのが、好いのではないだろうか。世相に迎合しようとするのであれば、干支順に並べたらどうだろうか。
 十二神将もたくさん観て来ました。好くあるケースは、頭上に干支の形のマスコットを着けているか、ベルトのバックルにマスコットを着けている。
 ところがこの十二神将には、そのマスコットに相当するものは着いていない。だから順番はないと説明したら好い。従って、干支も書かない。書けないのだ。
 円形に並んだ十二神将は、結構大きいし、自由なポーズが何より楽しい。想像を掻き立てて面白い。
 仏像は名前によって、姿、形に制約があり、それほど自由ではない。ところがこの十二神将だけは、自由なポーズをしている。それだけに製作する人達に取っては、制約から解かれて、自分の考え通りに製作したのだろう。
「仏像観て歩き2」での、二度目の訪問では、次のようにきじゅつしている。
新薬師寺近郊では、「ぼくたちの幼稚園」で一連のつつじを撮ってみました。日本の電柱は、交通でも環境でも邪魔をしています。
 今日も新薬師寺で、こう質問した。
「この仏像は、どうして干支が決まるのですか」
と聞いた。勘違いをして、管理員が
「何年生まれですか」
と逆に聞いて来た。
「そうじゃあ無くて、仏像の干支はどうして決まるのですか」
と聞き直した。すると、傍にいた僧侶が
「言い伝えです」
といい。更に
「同じ名前でも、新薬師寺と別な寺では、干支が違います」
だと。更に、更にこう付け加えた。
「この時代には、まだ、干支という思想がなかった」
という。
 干支のエンブレムが頭上に着くのは、秋篠寺では鎌倉以後と書いている。それより、古い奈良時代というので、干支という思想が無い事は判る。と言う事は、誰かが勝手に新薬師寺の干支を決めたので、それ以上の事は、おれの知った事かということである。
 これを聴いて、毎朝テレビでやる、今日の運勢とやらと同じで、言放し、遣りっ放しで誰の責任でもない。テレビは、今日の運勢を決めた人の名前も、引用した経典も明示していない。各局ばらばらで、それがまた、好いと来ている。馬鹿馬鹿しい。
 新薬師寺は、制作時代に干支の思想が無いのに、干支を勝手に決めて、順番には並べない。その時代に干支という思想がないのなら、勝手に決めるな。決めるなら、後世の頭上に干支のエンブレムを被ったものに合わせろといいたい。
と、ここで、愚痴をいう。
「何でも好いんだよ。お客が喜んでいるのだから、ごちゃごちゃ言うな。黙っていろ。馬鹿だなお前は」

何だか、今日の終わりは、天気のように、すっきり行かない。


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所蔵仏像
薬師如来坐像 薬師如来立像
不動明王立像 制咤迦童子立像 矜羯羅童子立像 十一面観音立像
十二神将()内の名称は文化庁指定の名称
伐折羅立像(迷企羅) 迷企羅立像(因達羅) 安底羅立像(伐折羅)
額称羅立像(額称羅) 珊底羅立像(安底羅) 因達羅立像(波夷羅)
波夷羅立像(宮毘羅) 摩虎羅立像(摩虎羅) 真達羅立像(真達羅)
招杜羅立像(珊底羅) 毘羯羅立像(毘羯羅) 宮毘羅立像(招杜羅)

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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上