仏像名

ふりがな がっこうぼさつりゅうぞう

薬師寺
制作年代

国宝
飛鳥〜奈良時代

月光菩薩立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

銅造
鍍金

樹 種

像 高

309cm

製作者

安置場所

金堂

開扉期間

解 説

 金堂の本尊薬師如来坐像の両脇侍像。制作年代については藤原京薬師寺本尊が移されたものとみて七世紀末とする説と、平城京の現在地で新たに造られたとみて七一八年頃とする説の間で議論があり、結論が出ていない。
 肉付きの豊かな頬、豊満な胸や腹、背面も中央を窪ませ人間のふくよかな身体を再現しており、どこに触れても柔らかな感触で応じるようにみえる。肩から垂れて腕にかかる天衣や裙の裾の折り畳みにみられる布の質感の表現、毛筋を丹念に刻んだ頭髪、軽く曲げる指先など隅々まで自然で写実的である。
 ただ、衣文は大腿部に茶杓形衣文を互い違いに数少なく、膝下にはU字形に四〜五条反復するのみで、余分な弛みを造らず、すっきりしている。プロポーションがよく、体勢も柔軟で、完璧な美をつくり、超越者としての姿を表わす。
 腰を一方に捻り、捻った側に重心をのせ、もう一方の脚はやや膝を曲げて遊ばせる。この姿勢および豊満な肉身表現、裙の下の大腿から膝、脛の輪郭が見える点はインドの四世紀から六世紀に栄えたグプタ朝の仏像の影響による。
 玄奘(602664)、義浄(635713)をはじめとする中国からインドに留学して経典などを持ち帰った僧、あるいは地婆訶羅、菩提流支などインドから中国に来た僧によって七世紀後半に中国に伝わり、インド風が流行したと考えられる。現存する彫像では中国、唐時代七世紀末から八世紀初頭に造営された宝慶寺石造仏龕に通ずる。しかし、残念ながら、同時期の遺品は中国にはあまり残っていない。
 七世紀末建立の法隆寺金堂に描かれた壁画は、その風貌や隈取の強い色彩にインド風が濃厚である。これも初唐のインド風流行を介して日本にもたらされたものである。
 薬師寺の薬師三尊の場合は、容貌はインド風とはいえない。体つきも宝慶寺石造仏龕の中に腰の丸み、大腿部の弾むような肉付きを強調するものが見られるのに較べれば、抑え気味ともいえる。そこにはやはり日本的な好みが働いていると見てよい。
 この像の鋳造技術の高さも特筆すべきことである。大きい像にもかかわらず、一度に鋳造する。銅の厚さは均一で表面も滑らかで鋳上がりがよい。六八五年作の旧山田寺仏頭が中型がずれて失敗、蟹満寺釈迦如来坐像でも溶けた銅がまわりきらず鋳造に失敗下部分を鋳掛けて修正しているのに対し、格段の差がある。
 それは中型と外型の間で両者の隙間をずれないように支える型持ちの違いに起因する。旧山田寺仏頭では方形の型持ちとずれ止めの笄を併用するが、薬師寺像では方形の型持ちの中央に釘を付けて両者を一体化する。後者の方が強固に中型を保持することが出来るのである。
 日光・月光像が着ける紐状の飾りは別に鋳造して本体に取り付けている。二列に珠を繋いだもの()と、四弁花と珠二つを交互に表わすもの()の二種あり、日光像では()が左肩から正面膝下方をわたり、右腰から背面にまわり、左肩につながる。()は、同じく左肩から腹部下方を渡り、右腕に沿って肩にかかり左肩につながる。
 月光では逆に()が腹部をわたって背面にまわる。()は両肩下がりまでしか残っていないが、膝辺り垂れていたのだろう。左大腿部と右手首より少し上に、方形の穴があるのは、これを止めていたのだろう。
 両像とも両腕から垂れる天衣の先を欠くが、台座に先端が残っているのでこれと繋がっていたことがわかる。木造漆箔の光背は江戸時代に補われたものである。
「国宝 薬師寺展」より 東京国立博物館 2008年

私 の 想 い

「仏像観て歩き2」では、次のように書いている。
すでに金堂では、一月に一度の法要が始まっていた。中央の僧侶がお経らしきものを唱えていた。その内に、般若心経が始まる。机の上に積上げられた経本を次々に左手から右手へと折り畳んだ経本が捲られる。一冊が終えた時には、一声あり、机の下に収める。
 次から次へと続き、経本の風通しがされて行く。その所作にも上手下手があり、上手な人はさまになる。落差があり、見応えがある。その経本の風通しが終了し、僧衣をまとった信者の人達も起立して合唱する。その声が和音になってお堂に響く、特に男性の低音がきれいに響く。合唱が終了して着席する。
 最後の一冊の風通しをして、収納を終了すると箱に全部収まる。また、般若心経が始まり、全員で合唱である。拍子木が調子を執って打たれる。そして、終了する。パッコンゲタを履いた僧侶が退席する。「大般若経転読法要」という。ぺらぺらと捲って全部読んだこととする。今度から私もそれで本を読もう。
 右手は脇を大きく開けて、肘を伸ばして下に降ろす。手首を直角に曲げて、手の平を下に向け、親指で人差指を摘み、他の三指も軽く曲げている。その優しい指使いに女性らしさがうかがえる。
 左手は腰を左に寄せているために、脇が開かずに肘を折り、前に出して手首を折って、手の平を正面に向け、親指で人差指を摘む。他の三指を立てている。
 頭が左に傾き、上半身が右に腰が左に寄って、Sの字形に体全体がなっている。光背に七体の如来が配置された七仏光背である。
 平成20年4月「国宝 薬師寺展」で東京国立博物館に来た時には、次のように書いている。
 後ろからの状況を書かねばならない。寺で拝観する際には、正面からか、うまくして横からまでが、観ることの出来る限度である。こんな展覧会でしか出来ないことが、真後ろから観ることが出来ることである。
 胸に拡がる瓔珞の紐は、左肩口から右腰に背中の真中を斜めに横切る。腰から下のスカートは、両側が襞を女子高生のスカートのように縦に襞を刻む。後ろの中央のスカートは上から順に
左腰からしの字
右腰からJの字
左腰からしの字
右腰からJの字
左腰からしの字
を書いてスカートの中央で止まる。上から五段の文字を描いて下に下がる。裾は二重に重なるところが左右に1ヵ所ずつである。
 また、前に廻って、右手首から下に垂れ下がる天衣が手首からが欠ける。左肘から下に垂れ下がる天衣が左腰辺りから先が欠ける。両方の欠けた先が、台座に垂れて端が描かれている。
両腕に巻かれる臂釧は、腕の真横にエンブレムが向いている。

月光菩薩立像画像一覧その1
月光菩薩立像画像一覧その2
月光菩薩立像画像一覧その3
月光菩薩立像
薬師寺に戻る
薬師寺画像一覧その1 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺画像一覧その2 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺画像一覧その3 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺画像一覧その4 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その1 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その2 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その3 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その4 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺所蔵仏像
金堂
薬師如来坐像 日光菩薩立像 月光菩薩立像
講堂
弥勒如来坐像 大妙相菩薩立像 法苑林菩薩立像
東院堂
聖観音立像
薬師寺1に戻る
薬師寺2に戻る


日光菩薩と月光菩薩の比較表