古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編4

名  称

やくしじ

薬師寺

俗称又は愛称

奈良市西ノ京町457

最寄駅

開  祖

沿   革

 日本書紀天武天皇九年(680)、十一月の条に「皇后体不予したまう。すなわち皇后のために誓願いて、はじめて薬師寺を興つ。仍りて一百の僧を度せしめたまう。これによりて平安たまうことを得たり。この日、罪を赦したまう」とある。
 これが当寺に関する最も古い記録である。この創建の地は天武天皇の飛鳥浄御原宮であった。然し事半ばにして天皇歿せられるや、皇后は即位して持統天皇となられ、藤原京においてこの寺を完成された。
 それが更に元明天皇の和銅三年(710)、に平城京即ち奈良の都が成るや、平城京右京六条二坊の現在地(今は奈良市西ノ京町と云う)に移されて来た。
 東西三町(390m)南北四丁(520m)の寺地を占め、六条大路に面する、南大門を正面として、占地の周囲は高さ3.3m 基底2.4m の築垣が、これをかこみ、中門から左右に出る廻廊内には、金堂、講堂をはじめ東西二基の塔が所謂薬師寺式伽藍を形成し、二重重閣の金堂、各層に裳階をつける東西二基の塔の特異な偉容は、竜宮づくりと呼ばれ、他に類のない荘厳を極める大伽藍であった。
 その後、月うつり年かわり、天変地異相交え、寺運の興亡に盛衰あるも金堂薬師三尊、東院堂聖観音、東塔などに、白鳳時代、創建当時の偉大なる面目が伝えられている。今、南都七大寺の一つ、法相宗大本山である。
「薬師寺略記」より

 奈良西ノ京の松林の中にそびえ建つ三重塔は、カレンダーに室内装飾の写真として、見掛ける風景である。
 修学旅行には必ず入っているコースである。寺の方でもそうした修学旅行生を大事にして、面白く、シャレを交えて、印象的に仏教の教えを説いている。
 私も昭和36年の春に、高校三年生で訪れている。まだ若かった、高田光胤さんから説明を受けた。
 唐招提寺から薬師寺へ向かう道は、土塀に時代を感じながら歩いた。今は駐車場も出来て、細い道に大型バスが出入りして、時代が吹き飛んでしまった。門もないのにお寺かと思うが、どっこいこちらは裏口でした。
 薬師寺式伽藍配置は、左右対称形で判り易い。創建当時の薬師寺跡が飛鳥にあり、今も礎石が残っている。西ノ京の西塔の礎石と比べて見るのも好いかも知れない。巻尺で実際に計った訳でないが、聞く所では、飛鳥から平城京に移る時に、そのまま移したという。
 この様に飛鳥から奈良に移った寺が、他に大官大寺が大安寺に、飛鳥寺が元興寺になって移った。
 都の政治と仏教が如何に結び付いていたかが判る。仏教が政治の道具として機能しており、統治の手段になっていた。
 現代でも政治と宗教が切り離せない問題となっている。政教分離の問題をどこの国でも抱えており、両者が極端に強く結び付いた時に、特に問題が出て来る様に思う。
 五月の連休の頃は、つつじが咲き、赤い花を背景にした三重塔を見るのも楽しみだ。季節を変えて、同じ寺に何度も通うのも、楽しみ方の一つである。人出の少ない時も好し、シーズンの混雑もまた好しである。
 唐招提寺が天平時代の宝庫なら、薬師寺は白鳳時代の宝庫である。仏像彫刻に関しても天平時代に比べ白鳳時代の作品が少ないので、それだけに薬師寺は貴重な存在である。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」では、次のように書いている。
今日の予定は薬師寺だけの予定だが、早く終われば近くの寺に行けば好い。そんな気持ちだから、メールを終わったら10時を過ぎていた。
 薬師寺は特殊で、南大門が裏門のように扱われている。寺の正門は南大門である。薬師寺では、白鳳伽藍といっている。
 人間が仰向けに寝て、頭が南にあり、足が北にあり、腕は体に平行に下に降ろしたとして、臓器の位置で伽藍の配置を説明すると判り易いし、説明し易い。
 南大門が頭であり、両腕が回廊に当り、体を囲い込む。左の肺が西塔に当り、二重屋根の三重塔である。右の肺が東塔に当り、二重屋根の三重塔である。胃に当たる位置に金堂がある。金堂も三重塔と同様に二重屋根の二層屋根である。更に下に下がって、腸の位置に講堂がある。腕の回廊の外側に、肘の外側に位置して、右肘の外に東院堂がある。同様に左腕の肘の外側に、位置して、西院堂があったのだろうが、西院堂は、今はない。この伽藍配置を薬師寺式伽藍配置という。
 他にも、東大寺式、法隆寺式、法起寺式とかいろいろある。その都度、寺で説明しようと思います。
 南大門前の茶店でコーヒーを飲んでいると、薬師寺の僧侶が入って来た。その僧侶に仏像を調べているので、お堂でメモを取るがよいかと聞く。その都度お堂の人に一声掛けてくださいと言う。また、金堂でこれから、月に一度の法要があるという。
 金堂には、あの白鳳の名品の薬師三尊がある。金堂に入るとすでに、法要が始まっていた。三尊の前の左右に一段高いお経の台がある。これを論議台というのだそうだ。今日初めて知る。本尊に向かって左側に座る人が講師といい、右側に座る人を読師という。
 そういえば、落語で禅問答の演題がある。にわか僧侶のなまくら呑んだ暮れ坊主が、禅問答をして、最後にアカンベーをするやつである。その問答をこの論議台でしたのであろう。また、文殊菩薩と維摩居士の知恵比べ問答も、ここでしたのであろう。
 法華寺の献茶会でも、この論議台に尼さん二名が登壇して、お経を唱えていた。向かって左側の人が偉いのだ。年配の人が座っていた。
 そうそう、文殊さんと維摩さんは、どっちがどっちに登壇するのか心配になって来た。さああ、どっち。居士さんよりも菩薩さんが偉いという。維摩居士さんだって、お釈迦様の知恵袋である。両者が並ぶ寺でどちらに位置するか、確認する事にしましょう。
 講堂に行く。私はこの講堂と西塔は知らない。平成の大阪勤務では、薬師寺に来ていない。講堂には弥勒如来が安置されていた。
 次に玄奘三蔵院に行く。ここも昔はなかった。新しく建てたのである。亡くなった高田光胤さんがテレビのモーニングショウで稼ぎ、写経やその他の行事で浄財を集めて、昭和平成の大造営に注ぎ込んだのであろう。流石にたいした大事業である。
 講堂を建て、西塔礎石の芯柱のくぼみに、水を張って、その水に映る東塔の影を入射角と反射角とか言って、笑わせながら、西塔を説明していた。その西塔も建て、更に玄奘三蔵院である。 ここでは、東京芸大学長先生の「平山郁夫画伯」玄奘三蔵にちなんだ、風景を描いている。しかも、本堂内の配置を仏像でなく、絵画でもって、仏像配置と同様の配置を、本尊と日光、月光にちなんだ絵で三尊を表現している。
 くしくも、「東山魁夷画伯」が隣の唐招提寺で、唐人鑑真和上にちなんだ絵を献じている。唐人玄奘三蔵にちなんだ絵をここ薬師寺には「平山郁夫画伯」が献じている。
「平山郁夫画伯」の日光菩薩は長安大雁塔に朝日が昇る。本尊はヒマラヤの山々を須彌山に見立てる。須彌山とは仏教聖地である。月光菩薩は三蔵の聖地ナーランダに月が昇る絵で締めくくる。間に玄奘三蔵がこの旅で訪れた地が順に描かれている。アフガニスタンでタリバンが爆破したバーミヤンの遺跡も描かれている。「平山郁夫画伯」の絵でもって、仏教伝来の歴史を学びました。それとシルクロードの厳しさも擬似体験しました。
 最後に東院堂で、「聖観音立像」にお会いした。薬師寺の正門係員の人に木の名前を聞くと丁度花が散って、新芽が出ない枯れ木状態の木が梅だという。私の姿を見て、何かをお調べですかと聞いて来た。
「仏像が好きで、調べております」
というと
「これから行く、東院堂には立派な観音様があります。私らあそこで床や仏像の埃を取る時に、びっくりするほど色気がありますよ」
だと。
「駄目ですよ。太ももを擦ったりしては」
と茶化すと。
「ヒェ」
と言葉にならない言葉を発した。聞いた途端に、しまった要らん事を言ってしまったと後悔した。ごめんなさい。東院堂に入って直ぐに、観音さまにもお詫びしました。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」で二度目では、次のように書いている。
次に、隣の薬師寺に行く。ここも、前回観ているので、チェックをして、見落としがないか、順路に従い回る。
 玄奘三蔵の参道の両側に牡丹が丁度見ごろを迎えて咲き誇る。どうぞ、美しい牡丹をご覧ください。今日の拝観順路は、修学旅行の行程のようでした。清楚なケイカと、色鮮やかな牡丹を堪能しました。私のとしては、こういう事は今までにあまりない。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」で三度目では、次のように書いている。
次に薬師寺だが、ゴールデンウィークの期間中に大宝蔵殿が開くそうなので来た。国宝の吉祥天画像を観る。実物は小さいが、日本の吉祥天の原典みたいな物だけに、観ておいてよかった。実物は黒ずんで良く見えないが、写真では良く観える。この写真を一枚購入する。
 また、館内では当代一流の画家による色紙に蓮弁作り、その蓮弁に絵を書いて薬師寺に奉納されて、それが公開されていた。何人かの著名な画家のものもある。そして、仏像は二体出されていた。
 この大宝蔵殿には、陶芸家もいろいろな作品を奉納されているそうで、それらも年によって公開されると言う。私は陶芸素人なので、興味は無いが興味のある方には、堪らないものなのだろう。
 平成20年4月の「もうひとつの薬師寺展」で薬師寺東京別院に訪問した時には、次のように書いている。
 国宝の日光・月光菩薩像が東京国立博物館に来るのに合せて、同時開催で薬師寺東京別院で、文字通り「もうひとつの薬師寺展」を開催している。
 この展覧会は、薬師寺所蔵の仏像で金堂、講堂、東院堂三堂以外のものを一堂に集めて公開している。博物館や大宝蔵殿やその他で展示しているのを一堂で拝観出来る展覧会である。
 薬師寺で一つ疑問がある。この機会に疑問を解決したいと思っていた。疑問というのは古い資料によると、講堂の本尊は、金堂の国宝と同じように薬師三尊として、紹介されている。金堂と全く同じで、金銅製であり、脇侍も似ている。
 別の資料では、講堂の本尊は弥勒如来坐像という。そういえば、唐招提寺も講堂は弥勒如来坐像である。
 そこで東京別院で係りの人に
「講堂のご本尊は、薬師さんですか。それとも、弥勒さんですか」
と、聞いた。
「弥勒如来様です」
と、いう。これで疑問が解けたことになる。

薬師寺画像一覧その1 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺画像一覧その2 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺画像一覧その3 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺画像一覧その4 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺画像一覧その5 薬師寺の写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その1 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その2 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その3 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺花華一覧その4 薬師寺の花々写真が楽しめます。
薬師寺所蔵仏像
金堂
薬師如来坐像 日光菩薩立像 月光菩薩立像
講堂
弥勒如来坐像 大妙相菩薩立像 法苑林菩薩立像
仏足石
東院堂
聖観音立像
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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上