仏像名 |
ふどうみょうおうりゅうぞう |
峰定寺 制作年代 |
重文 平安時代 | |||
不動明王立像 | ||||||
様 式 |
久寿元年(1154) | |||||
俗称又 は愛称 |
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製作材質 |
木造、切金文様 彩色、玉眼 |
樹 種 |
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像 高 |
52cm |
製作者 |
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安置場所 |
本堂 | |
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開扉期間 |
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解 説 | ||||||
この不動三尊像は毘沙門天像と共に久寿元年(1154)、四月、すなわち、平清盛が三滝聖人のために、千手観音像を造ってから二ヶ月後に、鳥羽法皇からこの千手観音像の脇侍像として寄進された。 鳥羽法皇の院政時代は、王朝文化の爛熟期にあたり、この三尊像も小像ながら華やかな文化の面影がうかがわれる。 特に三尊の条帛や裳に置かれた截金文様には、斬新な墨流し、巴、立涌などの曲線文が用いられていて、截金技術の極致を示している。 不動明王像は右手に剣、左手に羂索を持って立つ青不動で、弁髪を左肩に垂らし、左眼を細め、右下牙で右上唇を噛み、左下唇が反り返って左上牙を表わす。 これらの特色は平安後期から盛んになった、不動明王像の新しいスタイルであった。不動の身体には目立たぬ程に写実味を加えて、流麗に肉付けされており、あどけない二童子の姿と共に、繊細な鳥羽院院政時代の特色を出している。 そこには、「猛炎を背に負い、忿怒の形相物凄く、磐石上に安住する充満した童子形」と定められた姿は全く形式化し、貴族の加持祈祷の本尊として、誠に小さく美しく造られて居るのである。 「京都の仏像」 淡交社 1968年より | ||||||
私
の 想 い | ||||||
右ひじを横にくの字に折って、右腰で剣を真上に立てて握る。左手は下に降ろして羂索を握る。右にこしを突き出した形だが、何処か不自然さが残る。 不動明王像と二童子像の在る寺院 寺院名 年代 制作年 不動明王 矜羯羅童子立像 制咤迦童子立像 滋賀・西明寺 平安時代 坐像85 立像88 立像84 奈良・新薬師寺 平安時代 立像156 立像84 立像84 十輪院 平安時代 立像98 立像45 立像46 京都・峰定寺 久寿元年1154 立像52 立像25 立像46 静岡・願成就院 文治二年1186 立像136 立像77 立像81 京都・浄瑠璃寺 鎌倉時代 立像98 立像50 立像52 奈良・東大寺 応安六年1373 半跏像86 立像78 立像88 法隆寺 康暦二年1380 立像93 立像44 立像44 |
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不動明王の考察 |
不動明王と二童子の比較表 |