仏像名

ふりがな じごくてんりゅうぞう

興福寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

持国天立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、彩色
切金文様

樹 種

像 高

204cm

製作者

安置場所

中金堂

開扉期間

解 説

南円堂本尊不空臂索観音像と共に文治五年(1189)、康勝一門の手によって完成した。康慶舎弟実眼がこれを分担したとの記録があるが、実眼については他に知られる所が無い。いずれにせよ、これ等も康慶の構想によるものと見て良かろう。
 裳裾を短くした形は天平の四天王像に学んだもので、躍動する姿態や顔面の筋肉描写に新たな写実への意欲が示されると同時に、師噛その他の賑やかな荘厳に、康慶における装飾性への、志向も物語っている。
 檜材の寄木造、彫眼で、頭、体の幹部は二材の正中矧ぎ、頭、体を割り矧ぎしていると見られる。彩色は矧げ落ちが多い。
「運慶と鎌倉彫刻」 小学館 1973年より

 現在、仮金堂に安置される四天王立像である。一乗寺本南円堂曼荼羅図に描かれた四天王と、細部まで形式が一致する事を主な根拠に、南円堂の四天王立像であった事が論証されている。
 史料によれば南円堂造像の大仏師は康慶であった。黒眼に表から異材を嵌入する点は、康慶作である南円堂不空羂索観音坐像と共通する特徴がある。
 各像とも動きは少ないが、厚い胸板やゆったりと構える破綻のない姿は、前代の天王像と一線を画している。
 こうした、ぎこちなさを残しつつ新しい要素を打ち出す点や、過剰なまでに装飾を施す点は、治承二年(1178)、銘の東大寺持国天立像からの展開と見る事が出来よう。
 持物や姿勢は阿地瞿多訳「陀羅尼集経」の記述に合致する。いわゆる「陀羅尼集経様」四天王像の典型を示す。
 しかし、甲冑の細部の装飾、たとえば広目天立像に表わされた前肢をもつ帯喰の様に前例のない意匠も各所に見られ、次世代の胎動を感じさせる。
 なお、「南円堂御本尊以下御修理先例」より、四天王像の制作は、舎弟に実眼が担当した事が判る。
「興福寺国宝展」 東京芸術大学美術館 2004年より

私 の 想 い

右手は脇を開けて、肘をVの字に折って手の平を横にし、宝珠を肩の高さに捧げる。左手は肘を伸ばして、下に降ろし、左ひざの前で剣を立てる。
 勇ましい姿の方で、這いつくばる邪鬼の扱いも、乱暴で首が逆向きにさせられ左頬を踏まれる。口を開けた悲鳴が聞えてくる様である。
 平成21年4月の「国宝 阿修羅展」で東京国立博物館に出展された時には、次のように書いている。今回のテーマを邪鬼にあてたい。
 右手は宝珠を、肘をV字に折り手の平に載せる。左手は肘を伸ばして、低く構え剣を立てて持つ。光背は竹がそのままで使われている。
 邪鬼は首を反対に捻られ左頬を主人の左足で踏み潰されている。この主人は手心を加えない厳しい人である。足は2爪の偶蹄目である。

持国天立像画像一覧その1
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持国天立像
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四天王の考察


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