仏像名

ふりがな たもんてんりゅうぞう

興福寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

多聞天立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、彩色
切金文様

樹 種

像 高

198cm

製作者

安置場所

中金堂

開扉期間

解 説

仏像を安置する壇を須弥壇と呼ぶ。これは仏教の世界観で世界の中央にそびえ立つ須弥山から来た。四天王はその山の大将である帝釈天の家来として、山の中腹に住み、仏法を護持する大天王で、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天である。
 この四天王像は、鎌倉再興期に造られた。東方持国天像は左手に剣・右手に宝珠、南方増長天像は左手に剣・右手に戟、西方広目天像は左手に戟・右手に羂索、北方多聞天像は左手に戟・右手に多宝塔を持つ。
 火焔光背をつけ、邪鬼の上に立つ。姿や兜などに変化を持たせ、全体としてバランスを取る。鎌倉時代初期彫刻であるが古様を随所に残し、また、増長天の框は平安初期のものが転用される。
「興福寺」法相宗大本山 興福寺より

私 の 想 い

 右手は肘をVの字に折って、手の平を横に肩の高さで多宝塔を掲げる。左手は肘を伸ばして、戟を斜めに下げて持つ。邪鬼は這いつくばり、右手で手枕をしたまま、左頬を沓で踏まれ大人しくしている。
 平成21年4月の「国宝 阿修羅展」で東京国立博物館に出展された時には、次のように書いている。今回のテーマを邪鬼にあてたい。
 邪鬼の両手は、肘を床に着け前に投げ出す。後ろ足は正座に折り、後ろ腰に乗られるのだから、折り曲げられ方が尋常ではない。身体が柔軟な、体操の選手やお相撲さんでも大変な格好である。更にその後ろに乗られるのである。
 現在では、動物虐待の罪で訴えられそうである。それにしても、仮金堂の邪鬼に。
「我慢しなさい。そのうちには、好いこともきっとあるよ」
と、励まして揚げたい。

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仮金堂所蔵仏像
薬王菩薩立像 薬上菩薩立像 吉祥天倚像  
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興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)


四天王の考察


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