仏像名

ふりがな きっしょうてんきぞう

興福寺
制作年代

重文
南北朝時代

吉祥天倚像

様 式

暦応三年(1340)

俗称又は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

ヒノキ

像 高

64cm

製作者

寛慶・命尊作

安置場所

開扉期間

解 説

 ヒンズー教の水神ラクシュミー神で、仏教に取り入れられてからは、美と幸運、富と繁栄、財産と智恵を授ける神として信仰される。
 像は厨子に入れられ中金堂本尊釈迦如来像の背面、北向きに安置され、正月に修せられる。「吉祥会」の本尊像。
 宣字座に倚座し、華やかに彩りされた大袖の上衣に裳を着け、左手は掌を上にして前に差し出す。
 像内には種子曼荼羅を墨書する紙と五穀・五宝などが納められていた。厨子は春日厨子で正面に扉を開く。扉の裏面に梵天・帝釈天、奥壁に七宝山図を、胡粉下地に極彩色で描く。
 台座裏の墨書から唐招提寺第十代長老慶円が御衣木加持と開眼導師をつとめ、仏師寛慶が造り、絵師命尊が彩色し、暦応三年(1340)五月晦日に供養を終え、翌日唐招提寺から興福寺に入ったことが知られる。
「興福寺」法相宗大本山 興福寺より

私 の 想 い

両手は脇を締めて肘を折り前に出して、手の平を上にして右手は、中指だけがわずかに上に出ている。左手に宝珠を載せる。いずれの手も宙に浮かせて漂うようである。
 色白で気品のあるお顔である。吉祥天といえば、東大寺三月堂とか、浄瑠璃寺とかになるが、時代的には浄瑠璃寺の方が近い。色白も気品さも好い。若さで浄瑠璃寺さんに負けかも知れないが日本的なお顔で私は好きだ。
 鎌倉時代以後の仏像について、余り調べて観ていないのでどうこう言う事もないが、どうしても鎌倉時代よりも以前の仏像に魅入ってしまう。そういう意味では、私の中の時代的なぎりぎりのところが南北朝時代である。

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