仏像名

ふりがな ぞうちょうてんりゅうぞう

興福寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

増長天立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、彩色
切金文様

樹 種

像 高

202cm

製作者

安置場所

中金堂

開扉期間

解 説

 仏像を安置する壇を須弥壇と呼ぶ。これは仏教の世界観で世界の中央にそびえ立つ須弥山から来た。四天王はその山の大将である帝釈天の家来として、山の中腹に住み、仏法を護持する大天王で、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天である。
 この四天王像は、鎌倉再興期に造られた。東方持国天像は左手に剣・右手に宝珠、南方増長天像は左手に剣・右手に戟、西方広目天像は左手に戟・右手に羂索、北方多聞天像は左手に戟・右手に多宝塔を持つ。
 火焔光背をつけ、邪鬼の上に立つ。姿や兜などに変化を持たせ、全体としてバランスを取る。鎌倉時代初期彫刻であるが古様を随所に残し、また、増長天の框は平安初期のものが転用される。
「興福寺」法相宗大本山 興福寺より

私 の 想 い

 右手は肘を横に張って、振上げて戟を握る。右手は脇を開けて肘をくの字に折って、剣を左腰に握り構える。剣先が眼の前にある。
 邪鬼は左頬を地面に着けられ、右頬を伸ばして立つ増長天の左足で踏まれる。腹這いにさせられ、腰を右足で踏み上げられている。大きく口を開け、眼ん玉を剥き出す程の悲鳴が聞えて来そうである。
 どうもこのお堂の武人達の邪鬼に対する扱いが虐待である。邪鬼の扱いも法隆寺金堂の四天王のように在りたい物である。
 平成21年4月の「国宝 阿修羅展」で東京国立博物館に出展された時には、次のように書いている。今回のテーマを邪鬼にあてたい。
 右手は肘を横に戟を持つ。左手は剣を腰で構える。邪鬼は四つ這いで前のめり、首を突っ込み、顔を横にさせられて、右頬を主人の左足で踏み潰される。
 しかも、腰の中央を主人の右足で踏み上げられ、自由を踏みにじられる。邪鬼が横向きで大きく口を開け、泣き叫ぶ。叫びが聞こえて来るようだ。目玉が飛び出している。
 主人に私も言いたい。
「あなた達、そこまで、虐めなくともいいでしょう。何ぼ、何でも可哀そうですよ」
と、一寸の虫にも、五分の魂です。魂を汲んでください。

増長立天像画像一覧その1
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興福寺1(北円堂)
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興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)


四天王の考察

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