仏像名

ふりがな こうもくてんりゅうぞう

興福寺
制作年代

   重文
鎌倉時代

広目天立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、彩色
切金文様

樹 種

像 高

204cm

製作者

安置場所

中金堂

開扉期間

解 説

 仏像を安置する壇を須弥壇と呼ぶ。これは仏教の世界観で世界の中央にそびえ立つ須弥山から来た。四天王はその山の大将である帝釈天の家来として、山の中腹に住み、仏法を護持する大天王で、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天である。
 この四天王像は、鎌倉再興期に造られた。東方持国天像は左手に剣・右手に宝珠、南方増長天像は左手に剣・右手に戟、西方広目天像は左手に戟・右手に羂索、北方多聞天像は左手に戟・右手に多宝塔を持つ。
 火焔光背をつけ、邪鬼の上に立つ。姿や兜などに変化を持たせ、全体としてバランスを取る。鎌倉時代初期彫刻であるが古様を随所に残し、また、増長天の框は平安初期のものが転用される。
「興福寺」法相宗大本山 興福寺より

私 の 想 い

 ここの広目天像は、両腰辺りで、右に羂索を持ち、左で戟を持つ。いざ、出陣といった体勢である。
 経巻や筆の広目天像が多い中で、ここの方は羂索を持っている。邪鬼も不自然な形で踏み下されている。
 平成21年4月の「国宝 阿修羅展」で東京国立博物館に出展された時には、次のように書いている。今回のテーマを邪鬼にあてたい。
 右手に持つ羂索は、似合わない。広目天には経巻が似合う。それにしても、だからと言って、左手に戟で右手に経巻の組み合わせは、サマにならない。戟に羂索の組み合わせは仕方ないか。
 邪鬼は、顎の下に右手を敷いて乗せる。そして、痛さを堪える。脳天を主人の右足で踏み潰される。後ろ足は前に出し、前屈の姿勢でその後腰を踏み押さえられる。大変な格好で踏まれている。主人の後ろから観た邪鬼の姿は、お相撲さんの股割りの上に人が乗るという姿である。

広目天立像画像一覧その1
広目天立像画像一覧その2
広目天立像
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仮金堂所蔵仏像
薬王菩薩立像 薬上菩薩立像 吉祥天倚像  
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興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)


四天王の考察


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