仏像名

ふりがな ごくてんりゅうぞう

東大寺
制作年代

国宝
奈良時代

持国天立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

塑造
彩色

樹 種

像 高

160cm

製作者

安置場所

戒壇院

開扉期間

解 説

 東大寺大仏殿の西にある戒壇院の壇上四隅に立つ四天王像である。東南隅に剣を持つのが持国天、西南隅に槍を携えて立つのが増長天、北西隅に巻物を持つのが広目天、北東隅に宝塔を高く掲げているのが多聞天である。
 我が国では、四天王像は鎮護国家を祈り、飛鳥時代から盛んに造られたが、奈良時代には、仏法擁護の天部として造られた。東大寺の戒壇院は、我が国の受戒の制を整えるため、来朝した唐僧鑑真にはじまり、天平勝宝六年(754)、には、大仏殿前に戒壇が設けられ、天皇はじめ四百数十人が受戒した。
 後、その戒壇の土を運び戒壇院が建てられたが、当初のものは三度火災に遭い、仏像も失われた。
 今日、戒壇院に伝わる四天王像は、後に他堂から移された像で、その伝来もはっきりしない。塑像で、彩色は殆んど剥落しているが、甲冑、装身具は朱、丹、褐、緑青、紺青、群青等の鮮やかな彩色であった事がうかがわれ、また袴のところには截金文様も一部残っている。全体に破損や修理箇所は少ないが、持物及び手の大部分は後のものの様である。
「日本の彫刻 上古〜鎌倉」 美術出版社 1966年より

私 の 想

 四天王の位置は、東角から南、西、北の順に持国天、増長天、広目天、多聞天と名付けられている。大雑把に言って持国天、増長天は剣戟を持って最も忿怒を表わし、広目天は経巻と筆を持ち、多聞天は多宝塔を掲げる。これらの四天王によって本尊が守られているのが、普通の内陣である。従って、当代の四つの強い者を言う場合に、○○四天王という言い方をする。
 また、四天王はそれぞれ邪鬼と呼ばれる、天邪鬼を足下に踏まえている。この天邪鬼が暴れて、本尊或は、本尊を信仰する民衆に危害を加える事のないように、足下に踏まえているものと思う。
もう少し違った考え方をすると、民衆の中の悪い事をする人間に、悪い事をすると、邪鬼と同じようにこうして踏み付けられると、見せしめをしているとも思える。悪い事をする人間に対して、忿怒の面で怒りを現している。
 右手で剣を持ち、剣先を邪鬼の顔面を踏み付け一段高くなって、折れ曲がった膝頭に置く。左手で上から剣先を軽く押さえている。邪鬼を討ち取り一休みしている感じである。
と、30数年前に書いている。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」では、次のように書いている。
右手は肘を横に張り、くの字に折って右腰の前で剣を握る。剣先を左足の膝上で左手の平で押さえる。口を真一文字に結んで驚いた様子である。
 邪鬼は腹這いになり、両肘を突いて頸を縦にされ、額を左足で踏み上げられている。正座したままで腰の背を右足で踏まれている。

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