古寺巡礼
トップページに戻る。 仏像名で寺を探す


仏像観て歩き 奈良編4

名  称

とうだいじ

東大寺5

俗称又は愛称

奈良市雑司町406-1

最寄駅

近鉄奈良線
近鉄奈良駅

開  祖

沿   革

 戒壇院は、天平勝宝六年(754)当時中国に於ける戒律の第一人者唐の僧鑑真が来朝し、大仏殿の前に戒壇を築き、聖武天皇を始め百官公卿四百人に戒を授け、同年五月一日孝謙天皇の戒壇院建立の宣旨に依り造営されたもので、創立当時は金堂、講堂、軒廊、回廊、僧房、北築地、鳥居、脇戸等があった(東大寺要録)
 そののち、治承四年(1180)、文安三年(1446)、永禄十年(1567)の三度、火災にかかり創建当時の伽藍は総べて鳥有に帰した。現在の戒壇堂は享保十七年(1732)に建立されたものである。
 戒壇とは受戒の行われるところで、受戒とは僧侶として守るべき事を確かに履行する旨を仏前に誓う儀式で最も厳粛なものであり、従って戒壇は神聖な場所である。戒壇はご覧の通り三段になっているが、これは大乗菩薩の三聚浄戒(一、摂律儀戒、二、摂善法戒、三、摂衆生戒)を表わしたものである。(三国仏法伝通縁起)
 堂内には四天王(塑像)及び多宝塔(木造)を安置する。当院の四天王はもと銅造のものであったが、今はない。現在の有名な四天王は、東大寺内の中門堂から移されたものと言われ、天平時代の傑作である。
 四天王は仏法の守護神として、我が国に於いては、既に飛鳥時代から信仰があり、天平時代に最高潮に達した。身にまとう甲冑は遠く中央アジアの様式で、文化の広大なることを物語っている。
 静にして動、動にして静、彫刻に於ける理想郷を具現したものとして、世界的水準を行くものである。
 中央にある多宝塔は、享保十七年(1732)、当堂と共に造顕されたものと言われ、中に鑑真が来朝のとき唐から請来したと言われる釈迦、多宝の二仏を模したものを祀る。(請来品は別置)
「東大寺戒壇院」縁起より

 大仏殿の西の松林の中にある重層な堂で、天平時代唐僧鑑真が来朝して、受戒を授けたところである。堂は江戸時代の建造という。四天王が安置されている。
 大仏殿から戒壇院に行く間の松林は、若い恋人たちの散歩道として格好の場所である。夏の暑い時は、松の木陰で休み、春や秋は芝生の上で恋を語り、人生を語る、そして、戒壇院の四天王をお参りすれば、一日を楽しく過ごす事が出来る。
と、30数年前に書いたが、そんな馬鹿な男は居ない。戒壇院の四天王に勝てる男前は居ないからである。

東大寺画像一覧その1 東大寺画像一覧その11 東大寺画像一覧その21
東大寺画像一覧その2 東大寺画像一覧その12 東大寺画像一覧その22
東大寺画像一覧その3 東大寺画像一覧その13 東大寺画像一覧その23
東大寺画像一覧その4 東大寺画像一覧その14
東大寺画像一覧その5 東大寺画像一覧その15
東大寺画像一覧その6 東大寺画像一覧その16
東大寺画像一覧その7 東大寺画像一覧その17
東大寺画像一覧その8 東大寺画像一覧その18
東大寺画像一覧その9 東大寺画像一覧その19
東大寺画像一覧その10 東大寺画像一覧その20
東大寺花華一覧その1
東大寺花華一覧その2
東大寺所蔵仏像
戒壇院
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
愛染明王坐像
東大寺1(大仏殿)に戻る
東大寺(法華堂)に戻る
東大寺(二月堂)に戻る
東大寺(四月堂)に戻る
東大寺(戒壇院)に戻る
東大寺(その他の堂)に戻る

ご意見、ご感想をお聞かせ下さい。

お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上