仏像名

ふりがな こんごうりきしりゅうぞう

東大寺
制作年代

国宝
鎌倉時代

金剛力士立像(阿形)

様 式

建仁三年(1203)

俗称又は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

836cm

製作者

運慶・快慶等作

安置場所

南大門

開扉期間

解 説

鎌倉時代初頭の創造的エネルギーを象徴する巨大な二王像。

この金剛力士の像は、今日東大寺の南大門の東西に、互いに向かい合って立っている像である。この像も、当初は、ともに正面を向いていたことは、正面に柵が設けられてあり、また像の表面の風化の状態からも判る。
「東大寺別当次第」によれば、両像は、運慶、快慶により、建仁三年(1203)、七月二十四日より造り始められ、同年十月三日に開眼されたものであることが判る。
 いずれを運慶とし、いずれを快慶の作とするかは不明であるが、建仁といえば、両巨匠の最もあぶらののった壮年時代になっている。精密な木寄せ法により、木のブロックを積み上げ、8mに及ぶ像を造っている。
 これだけの巨像は、日本木材彫刻中でも稀有なものであるが、なお、十分な安定感を持っている。両像は、風雨に当たり易い場所にあるため、表面の肌は大変荒れている。
「日本の彫刻 上古〜鎌倉」 美術出版社 1966年より

 東大寺の南大門もまた、治承の兵火に焼けた建物の1つである。その再建は、正治元年(1199)、に行なわれ、引き続き、両側の仁王像は建仁三年(1203)、七月から運慶・快慶により造り始められ、3ヵ月後の十月には、もう開眼供養が行われている。
 第二次大戦の空襲に焼けた東京都目黒不動尊の仁王門に安置する仁王像は、等身大ほどの像であるが、その制作に数年を要している事を考えると、8mに及ぶこの仁王像を僅か3ヶ月で完成しているという事は、当時いかに人数も規模も、大きい組織があったか判るであろう。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

私 の 想 い

 向かって左側にある口を開けた阿形である。右手は如意棒を肩に担ぎ、右腰に手の平で如意棒の端を掴み押さえる。
 左手は肘を横に張って、手の平と指を思いっきり開いて、左胸の横で正面に向けて、力が入る。胸の筋肉隆々で力強い。
 全身に強い力を込めて立ち、衣が風で飛ばされるようにたなびき、ぐっと踏み締める。足も筋肉が隆々と盛り上がり、如意棒を持つ腕も強靭そのものである。
 この像で感心するのは、足の親指にさえ、力強さが漲っている事である。

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金剛力士立像(阿形)
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