仏像名

たんじょうしゃかぶつりゅうぞう

東大寺
制作年代

国宝
奈良時代

誕生釈迦仏立像 灌仏盤

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

銅造
鍍金

樹 種

像 高

47cm

製作者

安置場所

開扉期間

解 説

 4月8日の釈迦誕生の日には、灌仏会という儀式が行なわれた。この像は、その時に使われた誕生の釈迦をかたどったもの。童児の体付きを巧に捕らえているが、白鳳の童児形の像とは、たいへん異なり、リアリスティックな要素を持っている。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

 仏伝では、シッダールタ太子(のちの釈尊)は、母マーヤー夫人がルンビニー園でアショーカ樹の花を摘もうとして右手を挙げた時、その腋の下から誕生したとされる。生まれたばかりの太子は、七歩歩んで天地を指差し「天上天下唯我独尊」と唱え、温冷二種の水で清められた(潅頂・潅水)。
 インドやガンダーラでは、この一連の場面を表した仏伝浮彫りが数多くあり、ナーガ(龍)、あるいはインドラ(帝釈天)とブラフマー(梵天)に潅水され、天空にはハープ、太鼓などの楽器が舞い、仏陀の誕生を祝福する様が描かれている。
 インド・ガンダーラの作例では、太子は両腕を垂下するか、右手は施無畏印を結ぶように挙げているものが多く、本像も含めて朝鮮・日本の誕生仏に通例の姿である右腕を天に向って高く差し挙げているものは見られない。
 仏陀の誕生を祝して四月八日に営まれる潅仏会(花祭り)は、日本では、推古天皇十四年(606)、元興寺(飛鳥寺)で行われたのがはじめとされる。
 東大寺でもこの日に仏生会という法会が行われるが、かつては天皇が参列し、大仏殿において、伎楽会が催されるなど盛大なものであった。
 本像は、右前膊で手をついでいる以外は、一鋳である。福与かな顔に笑みを浮かべ、赤ん坊のような腹や腕のくびれを表現した豊満な肉体は、大仏殿前の八角燈籠火袋の音声菩薩浮彫像とも類似しており、共に天平勝宝四年(752)の東大寺大仏開眼会の行われた頃に製作されたと考えられている。
 香水を受ける潅仏盤は、かつては全面に鍍金が施されていた。口縁には雲文、盤外側面には山岳・雲・楼閣・樹木・草花・飛鳥・蝶・霊獣などを線刻し、地文は魚々子を打つ。唐代の影響を受けた意匠は、正倉院の工芸品とも共通するものである。
「特別展 大和古寺の仏たち」 1993年 東京国立博物館より

私 の 想 い

 四月八日の釈迦誕生を祝う、潅仏会の本尊である。「天上天下唯我独尊」を唱えたという伝説を表わしたものである。
 東大寺所有であるが、奈良国立博物館に陳列されている。幼少の釈迦如来である事が顔に現われている。
 生まれた時に「天上天下唯我独尊」と言ったという事を、この像は表現し、2〜3歳の頃にポーズを取って表わした。あどけない表情をしている。
 平成22年10月東京国立博物館に「東大寺展」として東京にやって来た。「特別展 大和古寺の仏たち」として1993年に東京に来ている。
 お釈迦様が右手を上に挙げている姿が、田中角栄元首相が取るポーズに似ていることに気付いた。上越新幹線の浦佐駅に立つ角栄さんである。
 右手は肘を横に張り肩よりも少し高い位置で止め、手の平を正面に向け指先を上に開いて突き挙げる。唯我独尊で人差し指一本かと思い気や、五指を開いた姿であった。京都・大報恩寺は一本に立てていた気がする。

 左手は肘をくの字後ろに引き下に降ろす。手の平を開いて正面に向けている。台座は円柱になっていて側面に連弁が刻まれている。腰布の後ろ面にはしの字とJの字で皺を簡単に刻んで表している。潅仏盤の外面一面に線描画を刻み中に立つお釈迦様をたのしませ、喜ばせているのだろう。

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誕生釈迦仏立像・灌仏盤
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