仏像名

ふくうけんじゃくかんのんざぞう

興福寺制作年代

国宝
鎌倉時代

不空羂索観音坐像

様 式

文治五年(1189)

俗称又は愛称

製作材質

木造
漆箔

樹 種

像 高

341cm

製作者

康慶作

安置場所

南円堂

開扉期間

解 説

 この不空羂索観音像も、また、法相六祖と同時に、康慶などにより制作された彫刻である。藤原時代には、京都の公卿たちに、奈良の仏師の造る仏像は、荒っぽいと批判されているが、その荒っぽい中に、次第に力強い様式が育って行ったのであろう事を、この像は物語っている。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

 南円堂本尊で、治承の兵火に天平の古像が焼失した後、文治四年(1188)、から康慶とその一門が再興に取り掛かり、翌年供養を遂げたものである。供養の日、像内に金の種子に銀の羂索、仏舎利、経巻などが籠められた。
 天平の古像は藤原摂関家に特にゆかりが深く、尊崇を集めていただけに、復興に当たって形の上のみならず、作風の上にも古像の再現が目指された様で、康慶はその復古のうちに鎌倉新様式の基本を打ち出したと言える。
 檜材の寄木造で、頭、体の幹部は左右二材矧ぎとし、これに面相部と二材矧ぎの背板を矧ぎ付け、脚部は横一材で造り、髻や八臂、裳先などを矧いでいるらしい。瞳の部分だけに玉眼の技法を用いている。
「運慶と鎌倉彫刻」 小学館 1973年より

私 の 想

 三目八臂の不空羂索観音像である。東大寺三月堂の不空羂索観音像は立像だが、ここの不空羂索観音像は坐像である。
 宝冠も阿弥陀如来を中心に火焔で形づくられている。合掌する手の平は間に何も挟んで居ないようである。
 左足が上になる降摩座に座る。慈悲のお顔の方で南円堂のご本尊に相応しい。6人の高僧を輩出するには、ご本尊の存在も大きくないといけない。

不空羂索観音坐像画像一覧その1
不空羂索観音坐像画像一覧その
不空羂索観音坐像画像一覧その3
不空羂索観音坐像
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南円堂所蔵仏像
不空羂索観音坐像      
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玄賓坐像 玄ム坐像 (正座)
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弥勒・不空羂索の所在と制作年代