仏像名

ふりがな ぎょうがざぞう

興福寺
制作年代

国宝
鎌倉時代

行賀坐像

様 式

文治五年(1189)

俗称又は愛称

製作材質

木造、玉眼
彩色

樹 種

ヒノキ

像 高

74cm

製作者

康慶作

安置場所

南円堂

開扉期間

解 説

 興福寺の南円堂に安置されていた法相宗関係の祖師六人の像は、運慶の父康慶が造ったものである。これもそのうちの一体で、顔付きや衣文に生きた人間を表わそうとする努力のあとが覗える。
「日本の美術 肖像彫刻」 至文堂 1967年より

 法相六祖とは興福寺南円堂の本尊不空羂索観音像の周囲に安置されている法相宗関係の六人の名僧で、いずれも奈良時代後半から平安時代初頭にかけての南都の高僧である。
 南円堂創建以来の像が、治承の兵火で失われたのを、本尊や四天王と共に康慶を大仏師として文治四年(1188)、六月から翌五年九月までかかって造り上げたものである。
 檜材の寄木造玉眼嵌入の像で、衣や袈裟の襞の深い彫り込みや、切れんばかりの布のへりの造り、複雑奔放な衣文の流れは、それ以前の藤原彫刻には見られなかったところがあり、面貌の個性的な表出に写実への強い意欲が感じられる。
 しかし、その写実表現には、なお未熟なところがあり、特に着衣の下の肉体の充実感が示されていないうらみがあって、やはり時代の転換期における、一つの過渡的なものである事が、まざまざと示されている作品と言えよう。
 六体の像を見ると両膝を揃えて坐したもの(玄賓・玄ム)、片脚を立てるもの(行賀・常騰)、両脚を組んでいるもの(神叡・善珠)の三組に分かれるが、これは座り方の違う三体ずつを左右に、安置するための考慮であろうと云われている。(各像の名称については異論があり、行賀像と常騰像とが入違っているとする説もあるが、ここでは寺伝に従っている)
「特別展 鎌倉時代の彫刻」 東京国立博物館 1975年より

私 の 想 い

 右足は組み、左足は立て膝をしている。右手は肘をL字に折って前に出し、手の甲を膝頭に着けて手の平を上にして広げる。左手に香炉を持つ手は、左足の立て膝の間から出して、胸の前で逆手に持って香炉を前に出す。
 運慶の父の康慶は、南都の先輩僧の苦難に満ちた修行を、後世に伝えようと写実に拘って、しかも、六者三様の姿勢を選んだ。
 普通に座禅を組んだ常騰と善珠、立て膝を組んだ神叡と行賀、正座する玄ムと玄賓の六者三様である。

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南円堂所蔵仏像
不空羂索観音坐像      
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
常騰坐像 善珠坐像 (座禅)
玄賓坐像 玄ム坐像 (正座)
神叡坐像 行賀坐像 (立て膝)

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