仏像名

ふりがな がんじんわじょうざぞう

唐招提寺
制作年代

国宝
奈良時代

鑑真和上坐像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

脱活乾漆造
彩色

樹 種

像 高

81cm

製作者

安置場所

開山堂

秘仏

開扉期間

/5〜6/7 (開山忌舎利会)に公開

解 説

 鑑真は不屈の気概を持つと共に、広い心で万人を受容れた慈愛の人でもあった。その眼は困難を極めた日本渡航の途中に失明した。和上の真容はこの像によって遺憾なく表出されている。
 鑑真は唐招提寺の開山としてしられるが、元来は唐の揚州の生まれであった。十四歳で出家してより、律及び天台を学び、長安と洛陽において修業した後、郷里の揚州に帰り、大明寺で戒律を講じた。
 天平十四年(742)、に入唐した栄叡・普照たちの懇請を受けて、渡日を志し、前後五回の失敗と苦難を押し切って、ついに天平勝宝六年(754)、に東大寺に入る事が出来た。そして大仏の前に戒壇を築いて、天皇と皇后に授戒し、更に唐招提寺を建立して、戒律の宣布に努めた。
 天平宝字七年(763)、七十六歳で寂した。あるいは七十七歳ともいう。鑑真の姿を写した像は、奈良・唐招提寺に有名な乾漆彫刻がある。これは弟子の僧忍基が、唐招提寺講堂の梁が折れた夢を見て、和上の入寂が近いと察し、作り上げたものと云われる。いろいろな事情から考えて、生前の作とする事は、許されるであろう。朱の衣に遠山文様の袈裟を着け、両手を正面で重ね、ゆったりと座る。文様のほか、装飾らしいものは、何一つない。
 両眼を静かに閉じるのは、渡海の途中に、病んで盲目となった、和上の真容を伝えるものである。
 鑑真像は、彫刻あるいは絵画で、そのほか幾つかが世に伝存する。しかしこれらは、鎌倉時代及びそれ以後のもので、みな直接・間接に、唐招提寺像を参考にした形相を持つ。
「日本の美術 肖像彫刻」 至文堂 1967年 より

 我が国に正式の受戒の法を伝えるべく弟子達を率い、数度の難航を経て日本に渡った唐僧鑑真の肖像である。途中盲目になったが、なお初志を貫徹した高僧の面目躍如たるものがある。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

私 の 想

  六月六日、梅雨の雨が激しく、降りしきっていた。雨にけむってはっきりしない。開山堂は正門から一番遠い奥にあり、いつもは、閉ざされている。しかし、今日は鑑真和上の像がご開帳のために入れる。畳敷きの部屋で説法をするが如く、お厨子の中から鑑真和上がこちらに語り掛けているようである。頭を垂れて像の前に座ると、今にも和上の声が聞えるようである。
 老夫婦がそれぞれ手に数珠を持ち、鑑真和上にお参りしている。数珠を持って、何をお祈りしているのだろうか。
 この時にはまだ、「東山魁夷」画伯の障壁画はなかった。その後、障壁画が完成して、日本橋の高島屋での展覧会で、はじめて目にする事ができた。
 平成に入って、東京都立美術館に鑑真和上像が来られて時に、二度目の拝見をする。そして今回の東京国立博物館での「唐招提寺展」では、開山堂の内部が再現された形での公開となって、奈良まで行かなくても、年に三日だけで無く、会期中は毎日ご覧になれます。

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唐招提寺1所蔵仏像
金堂
盧舎那仏坐像  
千手観音立像 薬師如来立像 梵天立像 帝釈天立像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多門天立像
御影堂
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