仏像名

ふりがな やくしにょらいざぞう

勝常寺
制作年代

国宝
平安時代

薬師如来坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、
漆箔

樹 種

像 高

137cm

製作者

安置場所

本堂

開扉期間

解 説

 会津勝常寺の本尊である。この像はハルニレを彫材とし頭部体躯を彫り出した後、前後に大きく割り、内刳りを施してから再び寄せている。
 膝部も胴部と共木であるが裳先に補作がある。頭には大粒の螺髪を植付け像の表面に一部乾漆を補いに使い、その上に漆下地を置き、金箔で仕上げているが、現在の箔は当初のものかどうかは判らない。

 勝常寺の薬師三尊像は、いずれもケヤキ材から造られた木彫像である。脇侍像は頭体幹部を一材から彫出する。典型的な「一木造」であるのに対して、薬師如来像は「寄木造」という技法が用いられている。
 この像は、まず頭部から脚部までを一材から彫出した後、ノミを入れて材を割り離し、そして、それぞれに内刳りを施した後、再び矧ぎ合わせている。
 割矧造は、一木造から寄木造へ移行する過程の、いわば中間に位置する造像技法で、干割れを防ぎ、重量を軽くするために行う内刳りを、一木造より十分に施すことができる。
 このような大きな像に割矧造を用いるのは非常に珍しく、この像は割矧造の現存最古の像の一つとして注目される。
「日本の仏像 勝常寺薬師三尊とみちのくの仏」より 講談社 2008年

 中尊像は勝常寺の本尊。三尊像は現行法で東北地方初の国宝仏。いずれもケヤキの一材製。中尊像は直径一メートルをはるかに超える材で、組んで坐る両足まで上体と継ぎ目がなく、内刳りのため上体が一旦前後に割られる。
 これらは、上体と両足を別に造ったり、複数材で上体を造ったりするなど、作業性や経済性に配慮した後代の技法とは異になる豪快なもの。
 また、充実した頬の張り、広い肩幅、肉付き豊かで塊のような体躯は像に圧倒的な迫力を与える。更に、額に被さるな頭髪、厳しい眼差し、衣に流れる太い襞は像の存在感を格別に誇張することにより、効能の強大さを表すといえる。
 中尊像の光背が当初のものであることも貴重。
特別展「平泉 みちのくの浄土」より 世田谷美術館 2009年

私 の 想 い

 手元に私の「仏像観て歩き」のバイブルである
「日本の彫刻」著 久野 健 吉川弘文館発行 9版 昭和43年6月10日
がある。
 この本を見て、会津のこの薬師如来坐像を拝観しょうと思うようになったのである。従って、43年の秋に会津へ行ったのだろう。泊りは東山温泉であった。
 最初の43年に観たときには、そう言っては、失礼かも知れないが、埃っぽい感じを受けた想いがある。その後、東京国立博物館に一度来ている。このときには、修復されていて、現在の輝きになっていた。その証拠は、前記の本に載っている写真では、今ほどの黒光りはしていない。
 前にも書いたが、平成八年に東北最初の仏像での国宝第一号に指定されたという。国宝前にも、後にも東京国立博物館には来ている。
 ぽっちゃりとした面相は、少年のようでありながら、厳しいお顔もしておられる。いつも想うのは、大きな螺髪がスキー帽を深く被ったように観える。
 厳しいお顔の薬師様は多い。神護寺、元興寺、醍醐寺もそうであるように、たくさんある。しかし、この若さで、この厳しいお顔が出来るのも立派である。誉めて上げたい。
 平成21年6月第十八回「仏像観て歩き」会津編で拝観したときには、次のように書いている。
 会津最後の訪問寺院になった。もう少し早い時間に来る予定であったが、前の上宇内薬師堂で話が長くなってしまったのである。
 薬師堂に案内されて、本尊の薬師様を拝観する。このお寺では、薬師堂と収蔵庫の二つがあり、どちらにも薬師様のお座りになる場所があるのだ。不思議に思って聞いて見た。
「お参りに来る方が居られますので、ご本尊様が居られないのでは、お気の毒ですから」
という。
 収蔵庫にも、中央に場所は設えてある。お厨子の中にお一人だけ淋しくお座りである。脇侍の美人も収蔵庫の方である。

 普通の坐禅の組み方は、右足前の組み方が多い。この方は左足前の組み方をしている。右利き、左利きという言い方では、ギッチョの組み方である。私は別名「ギッチョの薬師様」と名付けたい。

薬師如来坐像画像一覧その1
薬師如来坐像画像一覧その2
薬師如来坐像画像一覧その3
薬師如来坐像画像一覧その4
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