瑠璃光山勝常寺は、会津盆地のほぼ中央に位置する河沼郡湯川村に建つ真言宗豊山派の古刹である。大同二年(807)、または弘仁元年(801)に徳一上人によって開かれたという。
徳一は奈良の興福寺で法相学を学び、若くして東国に下り、庶民の中に入って、庶民のための仏教を広めた。
勝常寺は、徳一が開いた会津五薬師の中央薬師として、通行の利に富む現在の湯川村に建てられたといわれ、開創当初は、金堂・三重塔・中門・南大門など七堂伽藍が建ち並び、多くの頭塔・子院を有する大寺であったという。
勝常寺は古代会津の仏教文化の拠点として栄えたが、平安時代中ごろから衰退しはじめた。正応年間(1288〜93)、廃寺同然になっていた勝常寺を、京都・仁和寺の玄海僧都が下向して再興、中興の祖となった。以来、勝常寺は真言宗となった。応永五年(1398)、には荒廃していた伽藍の再興がなり、薬師堂(旧講堂)が再建された。
その後、亨録・天文年間(1528〜55)、のとき9代目にして中絶し、ふたたび仁和寺から覚成法印が下向、第10世として法灯を継いだ。覚成は、当時の会津領主蘆名氏の帰依を受けたらしく、勝常寺の寺宝には鎌倉期から室町期のものも多くみられる。
天正十七年(1589)、勝常寺は蘆名義広と伊達政宗との戦いのさなかに掠奪をうけ、多くの寺宝を失った。幸いに薬師如来像などの仏像は無事だった。その後は、戊辰戦争・第2次世界大戦の戦禍を免れて、貴重な寺宝が今に伝えられている。
当寺の薬師三尊像は東北唯一の国宝仏像であり、そのほか9体の平安仏もすべて重要文化財に指定されている。また、勝常寺の十一面観音は、会津三十三観音霊場の第10番札所として人々の信仰を集めている。
「古寺をゆく 勝常寺と会津の名刹」より 小学館 2001年
|