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仏像観て歩き 会津遍

名  称

ふりがな

しょうじょうじ

勝常寺

俗称又は愛称

福島県河沼郡湯川村大字勝常字代舞1764

最寄駅

開  祖

沿  革

 瑠璃光山勝常寺は、会津盆地のほぼ中央に位置する河沼郡湯川村に建つ真言宗豊山派の古刹である。大同二年(807)、または弘仁元年(801)に徳一上人によって開かれたという。
 徳一は奈良の興福寺で法相学を学び、若くして東国に下り、庶民の中に入って、庶民のための仏教を広めた。
 勝常寺は、徳一が開いた会津五薬師の中央薬師として、通行の利に富む現在の湯川村に建てられたといわれ、開創当初は、金堂・三重塔・中門・南大門など七堂伽藍が建ち並び、多くの頭塔・子院を有する大寺であったという。
 勝常寺は古代会津の仏教文化の拠点として栄えたが、平安時代中ごろから衰退しはじめた。正応年間(128893)、廃寺同然になっていた勝常寺を、京都・仁和寺の玄海僧都が下向して再興、中興の祖となった。以来、勝常寺は真言宗となった。応永五年(1398)、には荒廃していた伽藍の再興がなり、薬師堂(旧講堂)が再建された。
 その後、亨録・天文年間(152855)、のとき9代目にして中絶し、ふたたび仁和寺から覚成法印が下向、第10世として法灯を継いだ。覚成は、当時の会津領主蘆名氏の帰依を受けたらしく、勝常寺の寺宝には鎌倉期から室町期のものも多くみられる。
 天正十七年(1589)、勝常寺は蘆名義広と伊達政宗との戦いのさなかに掠奪をうけ、多くの寺宝を失った。幸いに薬師如来像などの仏像は無事だった。その後は、戊辰戦争・第2次世界大戦の戦禍を免れて、貴重な寺宝が今に伝えられている。
 当寺の薬師三尊像は東北唯一の国宝仏像であり、そのほか9体の平安仏もすべて重要文化財に指定されている。また、勝常寺の十一面観音は、会津三十三観音霊場の第10番札所として人々の信仰を集めている。
「古寺をゆく 勝常寺と会津の名刹」より 小学館 2001年

私 の 想 い

 勝常寺には、列車で一度行ったことがある。会津若松からタクシーで行ったような気がする。それから、もう一度、車で出張中に寄ったこともある。しかし、当時の記録がないので、細かいことはみんな忘れてしまった。
 どちらかで、泊ったのが、東山温泉であり、柳津温泉である。会津地方で泊った事のあるのは、市内のビジネスホテルでと、かんぽの宿と磐梯熱海である。これまでも、余り行ったことの少ない地域である。出張の仕事が多い私にしては、縁の少ない地域であったのだ。
 しかし、あれ、何時から国宝になったのか。今の今まで、知らなかった。何時だったか東京にも来たことがある。
 調べて、判りました。平成八年に東北地方で、初めての国宝と成ったのだそうだ。平成21年3月に世田谷美術館で観た、中尊寺の秀衡壇の仏像群が国宝であったので、それ以後、国宝に指定されたのだろう。
 その時には、このお寺は、随分東京国立博物館には、協力的なお寺だなあと思ったことがある。反面、展覧会に出展しないと寺の維持管理に支障があるのだろうかと勘繰りを入れてしまう。
 今、正に「国宝 阿修羅展」が東京国立博物館で開催中である。平成16年9月に東京芸術大学の美術館で「興福寺国宝展」と、銘打って開催された。その時に、書いたことが今年、現実のものとなった。いずれ阿修羅さんに出演をお願いするであろうと、スターのお出ましを予測していた。毎日、長蛇の列で賑わっている。精々、東京で稼いで、お帰り下さいと、阿修羅さんの頑張りに応援したい。
 このように、寺と博物館は持ちつ、持たれつの関係であるし、展覧会の還付金で寺が成立っているのも現実である。そんな中で、如何に、立派な企画が組めるかというのも、学芸員の腕である。
その腕に、期待して提案したい。
 善円作の五髻文殊菩薩立像を本館で展示していましたが、全国にある善円作の仏像を集めて、紹介したらどうでしょうか。運慶、快慶ほど知られていないが、立派な仕事を残している鎌倉時代の仏師である。いずれ、画像でこっそりと楽しみたいものと思っている。

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勝常寺所蔵仏像
薬師如来坐像 日光菩薩立像 月光菩薩立像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
聖観音立像 十一面観音立像
天部立像(虚空蔵菩薩)
地蔵菩薩立像1 地蔵菩薩立像2
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