仏像名

ふりがな きっしょうてんりゅうぞう

東大寺
制作年代

国宝
奈良時代

吉祥天立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

塑造
彩色

樹 種

像 高

202cm

製作者

安置場所

法華堂(三月堂)

開扉期間

解 説

 天平時代には、吉祥天像に穀物が良く実るよう祈る吉祥悔過(きっしょうけか)という行法がしばしば行なわれた。
 この像も吉祥悔過の本尊として、吉祥堂に安置してあったもの。平安時代同像は火災の際に、あわてて運び出され、痛ましく破損してしまった。もとは、有名な鳥毛立女屏風の婦人のような美しい女神だったのであろう。
 鳥毛立女屏風(ちょうもうりゅうじょびょうぶ)とは、正倉院に伝わる屏風。一扇ごとに、樹下に居る美人を一人ずつ描き、顔や手には薄い燕脂唇に紅をさすが、髪や着衣は、彩色する代わりに鳥の毛を貼る。これから鳥毛立と名付けられた。
 この屏風のような豊満な美人は、唐代の女俑(じょよう)にもあり、唐美人を写したものと思われる。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

私 の 想

 背を反り返り、足から肩まで弓なりになって、直立不動の姿勢をしている。頭部の破損が酷く髪型がどうなっていたのか判らない。木心にした木が後頭部に10cmほど出てしまっている。それはきっと、秋篠寺の伎芸天像のように、高く結い上げていたのではないだろうか。
 指の部分の破損も酷く芯にした鉄線が現われている。また、腕を観ると衣は剥がれて、肉身の腕を観るようである。制作時に肉身に、下着の襦袢に当たるものまで、きちんと造り上げ上着の裳を着けている。
 従って、天平時代がいかに仏様制作に対し、生身の人間と同じように制作したかを示す、貴重な史料である。
 生身の人間を模しながら、それよりも一層美しさ、気高さを造り上げるのだから、並大抵の技術や能力や精神力では出来ない。制作する像に対して、心から尊敬し、愛情が無ければ出来ない作業である。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」での訪問では、次のように書いている。
塑像で、木心が頭上に現われてしまっているが、遠くから見ると髪型に見える。S字形に身を反らして立つ姿は、優雅な身のこなしである。足の長い美形である。お厨子の扉が少し開けて見易くしてある。

吉祥天立像画像一覧その1
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吉祥天立像
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