仏像名

ふりがな しつこんごうしんりゅうぞう

東大寺
制作年代

国宝
奈良時代

執金剛神立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

塑造
彩色

樹 種

像 高

173cm

製作者

安置場所

法華堂(三月堂)

秘仏

開扉期間

12月16日 開扉

解 説

執金剛神は忿怒像の極彩色の残っている塑像で、北向きの厨子の中に安置されている。護国の神で、毎年12月16日にだけ開扉されている。この像はまた、平将門の乱の時の蜂の伝説でも有名である。
「法華堂しおり」より

 この執金剛神像は、三月堂本尊の背後にある黒塗りの厨子の中に、北の方を向いて立っている。この像は、あるいは良弁僧正の念持仏であったと伝え、また、平将門の乱には、大蜂となって将門を刺したという伝説を持っている。
 中でも注目されるのは、平安時代初頭に書かれた「日本霊異記」に、この像は東大寺が出来る以前にここにあった金鷲寺の行者の念持仏であったと伝えている事である。
 金鷲寺が東大寺の前身であった事は、近年の研究により実証されている。金鷲寺の像であったとすれば、その制作年代は、三月堂諸仏像よりも更に古い事になる。
 東大寺では、この像を秘仏として年に一度開扉する以外は、拝観を許さない。秘仏としての歴史も古く、足利義政の頃には、すでに秘仏になっていた記録も残っている。
 そのため保存状態も良く、塑造であるが、破損箇所は宝冠の元結の右端と右手指、天衣の一部に過ぎず、殆んど修理も加えられていない。ことにその彩色は古代彫刻中最も良く残っているもので、胸のへりには金箔地に唐草文様をかき、鎧や衣の至る所に美しい雲繝彩色が見られる。

「日本の彫刻 上古〜鎌倉」 美術出版社 1966年より

 三月堂の塑像群の中の一体、執金剛神像である。永く秘仏として伝わったたま、彩色が良く残っているので著名である。この像は東大寺が出来る以前、この地に草庵を結び信仰を続けていた金鐘行者の念持仏だったという伝えがある。
 行者は、この像の足に縄を結びそれを引いて毎日天下太平を祈っていたが、ある日その足のところから光を発し、それが宮中にまで届いた。その信仰の深さに感心した当時の天皇の計らいで、行者は得度を許され、正式の僧になることが出来たという。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

私 の 想

 本当はまだ一度もお眼に掛かってはいない。12月6日に法華堂に行っていないからであるが、しかし、写真では何度も拝見している。
 あの、怒っているとは、とても思えないお顔は、むしろ、驚いて金剛杵を握ったと、思うほうが自然な気がする。

執金剛神立像画像一覧その1
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執金剛神立像
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