仏像名

ふりがな たいしゃくてんりゅうぞう

東大寺
制作年代

国宝
奈良時代

帝釈天立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

脱活乾漆造
彩色

樹 種

像 高

378cm

製作者

安置場所

法華堂(三月堂)

開扉期間

解 説

 三月堂内陣の諸仏のうちでも、特に我々を圧倒するものは、梵天・帝釈天の二像であろう。本来不空羂索観音立像の脇侍として立っているが、群像構成の面から見ると、その大きさにおいて、内陣を二分し、それぞれの主尊たるの観がある。
 しかし、われわれが打たれるのは、単に像高のためではなく、像自身が持っている。あの何とも掴みどころのないような、茫漠とした雰囲気にある。
 この仏は、前に立つわれわれ現代人のかぼそい神経などを、全く受け付けようとはしない。そして自分の大きな世界へ、われわれを否応無しに包摂し、その足下に膝間付かしてしまう。
 このような大らかさと不思議な力は、これまでの天平仏には感じられなかった異質なものである。そこで、この両像の持つ特異な美的性格を、大陸的なものの新たな影響と見る意見もある。
 しかし、今日ではまだ十分な解決には至っていない。ただ居得る事は、天平時代前半の彫刻は、はつらつとした明快な感覚性に溢れていた。しかしこの像には、何か沈んだような精神の重さが加わって来ている。
 これは、天平彫刻がその内部において、新たな形式的変貌を遂げつつある事を示しているのである。
「天平彫刻」小学館 1970年より

私 の 想 い

 本尊の不空羂索観音像に劣らない大作である。本尊に向かって右側が梵天、左側が帝釈天である。
 四天王、梵天、帝釈天の六体は、いずれも、衿の着いた服装をお召しになっている。衿と言っても、折り返った衿でなく、詰襟のように立っているものである。
 この衿で思い出すのは、早稲田と明治の野球のユニホームである。いずれのユニホームも小さく衿が着いており、古いタイプのユニホームである。この古風なユニホームを着た者の中から、多くの野球名選手が生まれたのである。
 帝釈天は、胸をはだけて首から真直ぐ腹に落ちて、合わされる裳を身に着け、そして袖口は、振袖のように長く垂れている。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」での訪問では、次のように書いている。
右手は脇を締めて肘を折り、前に出して指で1を数えた指形である。左手は同じように脇を締めて、肘をLの字に曲げ、右手よりも下の位置で、親指と人差指でVを作り、他の三本指は軽く丸く握る。
 衣の下の軍服は、それほど軍服らしからぬ服装である。紅い前掛けを掛けたようになっているが、これは以前に気付かなかったが、補修したのかも知れない。

帝釈天立像画像一覧
帝釈天立像
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