仏像名

ふりがな   やくしにょらいざぞう

六波羅蜜寺
制作年代

重文
平安時代

薬師如来坐像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
漆箔

樹 種

像 高

163cm

製作者

安置場所

宝物館

開扉期間

解 説

 この薬師如来像はその様式から見て、本尊十一面観音像と、ほぼ同時代の作品と思われる。
 空也上人は民衆に阿弥陀如来の名を、唱えることを勧めて諸国を廻り、寺も初めは西光寺といい、西方浄土の教主阿弥陀如来に、対する信仰が盛んであったが、本寺には古い阿弥陀如来像が伝わらず、かえって、この薬師如来像が伝わっているのは、不思議なことも考えられよう。
 しかし、空也の信仰には、恵心僧都や法然上人などの、後世の阿弥陀信仰とは違って、はなはだ呪術的な傾向が強かった。この頃承平、天慶の両乱があり、都では天暦五年(951)に飢饉があって、死者がたくさん出る情勢であった。
 このような時代に、民衆がまず求めたものは、来世の極楽往生よりも、現世の平和であったに違いない。
 この薬師如来像は現世の幸福をもたらして呉れる、仏として造られたものと思われる。
 阿弥陀の信仰が本当に民衆の救いと、信じられようになるまでには、まだ、三世紀に近い年月を重ね、法然や親鸞の出現を待たなければならなかった。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

 量感が豊かで、衣文は鎬立つが浅く、そしてほぼ平行に整えられ、仰月形の目と何かつぶやくように、開き気味の口が童子のような印象の、典型的な十世紀後半の作風の像。
 空也の伝記である「空也誄」にはこの像のことは記されていない。空也没後、貞元二年(977)この寺に住み、伽藍を興隆したという中信の代に造ったものと考えられる。
 上半身を正中線で左右二材矧ぎとし、脚部に別材を矧ぐ寄木造りの初期の作例。頭部と体部の内刳りは貫通しない。
「六波羅密寺の仏像」より 東京国立博物館 2008年

私 の 想 い

 右手は脇を開けて、肘を折り宙に浮かせ前に出し、親指で中指を摘む。人差指、薬指、小指は少し曲げて、品の良い中品です。
 左手は脇を締めて肘を折って、左太腿に着けて前に出し、手の平に薬壷を乗せる。偏袒右肩の装束で吉祥座に座る。目は半眼に開き、親しみのあるお顔をされており、
「久し振りに来てくれたな」
だと。
「そうです。今回で3回目です。長い間、来られませんでした。10年は空いています」
「ゆっくりして、行きなさい」
と、やさしい。
 平成20年7月に東京国立博物館で六波羅蜜寺展がありました。
右手は肘をL字に折り、手首を返して手の平を正面に向けて、施無畏印である。左手は脇を締めて肘を折り、吉祥座に組んだ右足の裏に、手の甲を着け、手の平に薬壷を載せている。
 軽く唇を開けている。口笛でも吹いているのだろうか。口笛で吹く曲は、何なのだろうか。口笛と云えば、「クワイ河マーチ」かも知れない。
「クワイ河マーチ」はまだ出来ていないので、この薬師様は知らないかも知れない。いや今まで生きて来たので、知らないこともないはずです。
 平成21年10月に京都・滋賀「仏像観て歩き」・副題「千手観音と十一面観音を訪ねる」と銘打って「仏像観て歩き研究会」の仲間と訪問しました。
 右手を良く観ると手の平をこちらに向けている施無畏印である。指先を45度外向きに傾けた形である。この形で思い出すのが、秋篠寺の薬師如来坐像です。一人のご婦人が、娘さんとの会話で
「このお薬師様は、少しこれやわね」
と言って、手の平を横に振るのである。なるほど、指先を横に振ったようにも観える。指先の角度からすると、このお薬師様も似たような角度である。ところが、秋篠寺の方は、下の方から見上げているので、余計に横に振ったように見えるのかも知れない。
 また、このお薬師様は、螺髪を深く冠っているように観える。福島・勝常寺のお薬師様も深く冠っている。勝常寺さんは、左足前の降摩坐であるが、このお薬師様は、右足前の吉祥坐である。

薬師如来坐像画像一覧
薬師如来坐像
六波羅密寺に戻る
六波羅蜜寺画像一覧 六波羅蜜寺の写真が楽しめます。
六波羅蜜寺所蔵仏像
薬師如来坐像 地蔵菩薩坐像 地蔵菩薩立像 閻魔大王坐像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
吉祥天立像 十一面観音立像 伝運慶坐像  伝湛慶坐像
空也上人立像 弘法大師坐像 僧形坐像  
六波羅蜜寺に戻る