仏像名

 

 こうせいぼさつえいそんざぞう                                                    

西大寺

制作年代

    重文

鎌倉時代

興正菩薩坐像

様 式

弘安三年(1280)

俗称又

は愛称

 

 

製作材質

木造、玉眼

彩色

樹 種

 

像 高

88cm

製作者

善春作

安置場所

 愛染堂

 

開扉期間

 

解 説

 興正菩薩叡尊は鎌倉時代における仏教の戒律復興の功労者と言える。当代肖像彫刻の一代傑作である。

奈良西大寺に安置する叡尊像は、弘安三年(1280)、八十歳の時に作られた事が明らかである。生前の肖像彫刻であるから、作者は像主を良く観察しており、たとえば垂れた眉毛、太い鼻、あるいは一文字の口元などのほか、深浅複雑に流れる衣文にも、写実的意図が強い。前掲の重源像と並んで、鎌倉時代写生像の圧巻であろう。

興正菩薩叡尊は大和添上郡箕田の人で、はやくから仏門に入り、醍醐・高野山で密教を学んだ。更に東大寺で修学し、西大寺に住して、律宗の復興を志した。諸国の寺々で戒律を講じ、また宮中貴紳にも戒を授け、大いに朝野の帰依を得た。

特に叡尊の教化が庶民の救済にまで及び、弟子の忍性と共に、社会事業に力を入れた事は、大きな特色といわねばならない。

正応三年(1290)、九十歳の高齢で世を去った。奈良西大寺にある叡尊坐像は、弘安三年(1280)、八十歳の時の像で、その面影をよく伝えた優作であり、あらゆる意味で、叡尊像の根本になる。

左手に払子を持ち、両袖を極端に長く左右に伸ばしてすわる。神奈川極楽寺の像も、全くこれを写したものである。ちなみに両袖を伸ばした表現は、律宗系の他の肖像彫刻にも、影響を与えている。

「日本の美術 肖像彫刻」 至文堂 1967年より

 

 興正菩薩叡尊は鎌倉時代における戒律復興の功労者として知られる。西大寺に住し、正応三年(1290)、に九十歳で没した。この像はその生前かまたは没後間もなく造られたもので、優れた写実的手法によって、民衆の安穏を願い戒法に身を捧げた叡尊の風貌を写し出している。当代肖像彫刻中の一傑作である。

「仏像ガイド」 美術出版社 1968年より

 

西大寺の中興で、戒律復興をもって知られる興正菩薩叡尊の八十歳の時の寿像で、叡尊の住んだ西僧房にもと安置されたもの。像内には銘文が記され、また夥しい数の納入品が奉籠されている。

その中には、叡尊の自誓受戒記や父母の遺骨など、その生涯における記念的な品々があるほか、叡尊に帰依した多数の弟子達の結縁を物語る願文、経巻その他があり、衆庶と共にあった彼の宗教活動のまさに記念的な造像であった。

作者は大仏師法橋善春、やはり、叡尊の関係の造仏に携わった仏師善慶の子で、他に文永五年(1268)、の元興寺極楽坊聖徳太子像などの遺品がある。この像は檜材の寄木造、玉眼嵌入。頭部は前後矧で、首枘を前後矧ぎの体幹部に挿込んでいる。

「運慶と鎌倉彫刻」 小学館 1973年より

 

 西僧房造営と同じ弘安三年(1280)八月二十六日に、弟子たちが仏師善春に造らせた師匠の肖像である。左手に払子(毛や麻を束ねて蚊や虫を殺さずに払う仏具)を持ち、衣の袖を左右に分けて、少しうつむきかげんに静かに坐る。像はきわめて写実のかった、まるで実在の人に接するような気魄に満ちたものである。眉太く、鼻が大きく、口のひきしまった顔と、がっしりとした頭の骨格からは、いかにも意志の強固な叡尊の偉大な人格を実感できる。わが国の肖像彫刻中、傑出した出来栄えをみせているが、また生前に造られた寿像(長命を祝って生前に造られる肖像)として特異な地位を占めている。

 先年、像内からおびただしい納入文書類が発見され、数千人におよぶ弟子僧侶の結縁によって、しかもそれぞれ文字通り一紙半銭の零細な喜拾が結集されて造られたものであることが明らかになった。なお、仏師善春はさきの仏師法橋善慶の子息で、また善円・善慶の後継者として叡尊の知遇を受けた善派仏師である。

「秘仏特別開扉」西大寺 平成26年10月より

 

私 の 想 い

 老人に有り勝ちな眉毛を長くした老人の像です。社会党の村山首相が同じ様に眉が長かった。すでに悟りを開き、人の良さそうな、物分りの良さそうな好々爺である。

この方には無理なお願いしても、無理かも知れない。聞いて呉れそうな事、ちょっと頑張れば出来そうな事を頼もうと最初から大それた事は頼まない。

そんな雰囲気がする。頼まれた事はしっかりと実行する誠実さを感じる。大きな仕事をする人はそんな人だ。

平成17年4月の「仏像観て歩き2」では、次のように記述している。

先日は拝観者も多く、ゆっくりと出来ませんでしたが、今日はお昼時という事もあり、一人で拝観させて頂きました。

良いお弟子さんに恵まれて、ゆったりとお座りになり、右手を右膝の上に置き、左手も左膝に置いて払子を持つ。

「また、寄せて頂きました」

「そうですか」

「奈良の仏像の勉強に来ました。こちらでは、あなたがお造りになったお釈迦様と、その後お弟子さん達が、あなたの十三回忌にお造りになった渡海文殊さんと、あなたに会いに来ました」

と、言うと

「ゆっくりと観て行きなさい」

と、言うと言ってくれる。

「多くのあなたにお会いして来ました。岩船寺、福智院、元興寺極楽坊、白毫寺、そしてここの本堂のあなたにも会って来ました」

と、お会いした叡尊さんを思い出す。

「90歳まで生きられたあなたの事ですから、その間のあなたのお姿を、それぞれの作者が彫られたのです。いずれのあなたも八の字眉毛をされております。これはどうもあなたのトレードマークになっているようです。それにお眼がどの像もやさしいお眼をされて、とてもあなたらしいと思います」

と、今までにお会いした感想を申し上げる。

「西洋の画家のレンブラントは、自画像をたくさん残しております。どれもその時代、時代の自分を写しております。トレードマークはどれも帽子を被っているようです」

「鎌倉時代の仏師達が、心を込めてあなたのお姿を彫ったに違いありませんし、その事に感動致しました」

今回の「仏像観て歩き2」の旅も終盤に差し掛かりました。

「これからも元気で頑張ります」

と、叡尊さんに誓いお別れしました。

 

興正菩薩叡尊坐像画像一覧その1
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