古寺巡礼
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仏像観て歩き 奈良編3

名  称

さいだいじ

西大寺

俗称又は愛称

奈良市西大寺芝町1-1-5

最寄駅

近鉄奈良線
西大寺駅

開  祖

沿   革

西大寺の創建は奈良時代の天平宝字八年(764)に称徳天皇が、鎮護国家と平和祈願のために、七尺の金銅四天王像の造立を発願された事に始まる。
 造営は翌天平神護元年(765)、からほぼ宝亀末年(780)、頃まで続けられたが、当寺の境域は東西十一町、南北七町、面積三十一町(48ヘクタール)に及ぶ厖大(ぼうだい)なもので、ここに薬師、弥勒の両金堂をはじめ東西両塔、四王堂院、十一面堂院など、実に百十数宇の堂舎が甍を並べていた。文字通り、東の東大寺に対する、西の大寺にふさわしい官大寺であった。
 しかし、その後平安時代に再三の災害に遭い、さしもの大伽藍も昔日の面影を留めずに衰頽(すいたい)をしました。
しかし、鎌倉時代も半ば頃になって、稀代の名僧興正菩薩叡尊(12011290)、がこの寺に入って復興に当たり、創建当初とは面目を新たにした真言律宗の根本道場として、伽藍を整備された。
 今見る西大寺はほぼこの頃のプランを伝えている。興正菩薩は鎌倉時代南都の四律匠の一人で、当時疎かになっていた戒律の教えを最も尊重し、かつ最も行動的に興した人である。
 従って、その後西大寺は室町時代の兵火などによって多くの堂塔を失ったけれども、興正菩薩以来の法燈は連綿として維持され、現在は真言律宗総本山として、寺宝や宗教的行事によってその寺格と由緒をしのぶ事ができる。
「西大寺由緒」より

 近鉄西大寺駅から直ぐ。西大寺との出会いは、これから後に出て来る秋篠寺に行くために西大寺駅で下車して、駅前の食堂に寄り、朝飯を食べた時に、食堂の人に西大寺も好いので、見学したらと言われてであった。
 当寺の大伽藍を今に伝える唯一のものは、現在、本堂の前にある塔跡である。塔の礎石が如何に大きな塔が建っていたかを知らしている。その後、名僧興正菩薩叡尊に寄って復興された。
 興正菩薩叡尊さんの像がある。奈良時代より寂れていた西大寺を彼の手腕で復興され、その他いろいろな所でも、彼の名前は出て来る。鎌倉期の大人物であった人だが、肖像彫刻に登場する人も、とてもやさしい人である。
 平成17年4月の「仏像観て歩き2」では、次のように記述している。
西大寺では、興正菩薩叡尊像にお会い出来た。眉毛が長く、村山富一元首相も負けるほどであり、好々爺が全身から滲み出ている。
 文殊菩薩に随行している善財童子の可愛い坊やにも会えた。元気な様子である。
「仏像観て歩き2」での二度目の訪問では、
次に一度行ったが、もう一度西大寺に行く。最初に興正菩薩叡尊像に会いに行く。先日はいろいろ混んで居たが、今日は一人である。
 叡尊さんは東大寺の僧チョウゼンが中国で造らせて、日本に持ち帰った釈迦如来立像
(京都清凉寺所蔵)の模刻を命じて、短期間で作成し、西大寺で開眼法要をする。
 京都清凉寺の釈迦如来立像は、西大寺だけでなく、それ以後の釈迦如来立像のほとんどが、この形式でこれを清凉寺式釈迦如来立像という。
 詳しくは「仏像観て歩き」京都編の清凉寺に載せて有る。Googleで「仏像観て歩き」で出る。
更に、叡尊さんは、弟子に恵まれ80歳の時の祝いに、興正菩薩叡尊像を生きている内に造ってもらう。その模刻が、先日の岩船寺にもあった。更に驚いた事に、この西大寺の本堂にも、善財童子の隣に弘法大師さんと並んで居られた。これには、びっくりしたご本人と偽者が同じ寺に居るようなものである。
 叡尊さんは、自分が模刻をさせ、自分が模刻をされる方に、晩年はなったようである。90歳で亡くなったそうであるから、この像を造ったよりも10年長く生きた事になる。この像はそれから今日まで生きている。村山眉の叡尊さんと覚えて下さい。
 女難から逃れる為に自分で耳を切落とした明恵上人は叡尊さんの兄弟子だそうだ。鎌倉のこの時代には仏教界はそうそうたる人物を輩出したのである。
(「仏像観て歩き」京都編 高山寺参照)
「仏像観て歩き2」での三度目の訪問では、
昼食後、伎芸天像に最後のご挨拶に寄る。相変わらず、静かに首を傾げて、立っておられました。今日は、車を無料駐車場の秋篠寺に置き、西大寺まで、歩いて行こうと言うのである。
 第一は、駐車場代を浮かそうというのだが、最初の大阪時代は、車を持っていなかったので、どの寺に行くにも、電車やバスや時間節約でタクシーも使ったが、近くの駅から徒歩で訪ねたのである。その気分をこの秋篠寺で味わいたくて、西大寺への往復を徒歩にした。
 西大寺への行き道が、電車で秋篠寺を訪問した時の帰り道に相当し西大寺の帰り道が、秋篠寺を訪問する時の道に相当する。
 住宅地を通り田んぼのあぜ道を通って、秋篠寺には来たのである。懐かしい道である。最初に来た時は、大通りを行ったと思うが、それ以後は、あぜ道を行き、南門から入って行った。
 西大寺では、本尊のお釈迦様に、清凉寺の釈迦如来像に一昨日お会い致しましたと報告する。また、渡海文殊の善財童子君には、元気を頂いて、これからも頑張るよと誓って来た。
 更に、興正菩薩叡尊像には、しっかりと見守って下さいとお願いをする。また、模刻のあなたにも、たくさんお会いして行きますと許しを得る。
 奈良で五週間の「仏像見て歩き2」も、ここまで来ると、新しい発見と言うよりは、今までの総括を含めて、好きな仏像へのお別れが中心になってしまう。そう云う意味では、秘仏でない仏像は、どうしても会う機会が多くなる。

西大寺画像一覧その1
西大寺画像一覧その2
西大寺画像一覧その3
西大寺画像一覧その4
西大寺画像一覧その5
西大寺花華一覧その1
西大寺花華一覧その2
西大寺花華一覧その3
所蔵仏像
本堂
釈迦如来立像
渡海文殊菩薩騎獅像 善財童子立像 最勝老人立像 優てん王立像 仏陀波利三蔵立像
聚宝館
吉祥天立像 行基菩薩坐像 大黒天立像
四天王堂
十一面観音立像 持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
愛染堂
愛染明王坐像 興正菩薩坐像
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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上