仏像名

ふりがな  しゃかにょらいざぞう

大報恩寺
制作年代

重文
鎌倉時代

釈迦如来坐像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造、漆箔
金泥、玉眼

樹 種

像 高

89cm

製作者

行快作

安置場所

開扉期間

解 説

大報恩寺は出羽の国の求法上人義空が安貞元年(1227)、頃に創立した寺で、本堂は創立期のものが現存し、旧京都市内では最古の建造物になっている。
「徒然草」に「千本の釈迦念仏は、文永(1264〜75)、のころ如輪上人、是をはじめられけり」
と書いてあって、古くから釈迦念仏が行なわれて、香煙の絶えない寺であった事が推察される。
 この像は快慶の弟子行快の作で、十大弟子像の中には快慶の作品もあるので、快慶一門が本堂内の仏像を造ったと考えられる。
 快慶は釈迦尺如来を深く信仰した笠置寺貞慶の教えを受けており、貞慶のために釈迦如来像を造った事もあるし、清凉寺釈迦如来像を修理した事もあった。
 この様な事から、開山義空上人と南都の貞慶をはじめとする戒律復興に熱心だった僧たちとの間に、交流があったのではないかと思われるが、京都にも高山寺の明恵上人が居たから、釈迦如来に対する信仰が盛んであったのは、浄土宗に対抗する一般的風潮として、この頃の京都にも見られる現象であったのである。
 ちなみに、千本釈迦堂の釈迦念仏というのは二月九日から十五日まで涅槃図をかけて、遺教経を節をつけて読み、終わりに「南無釈迦牟尼仏」を繰り返し唱える儀式である。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

 千本釈迦堂として知られる大報恩寺本堂の本尊。この寺ははじめ承久三年(1221)、仮の小堂を構えて一仏十弟子像を安置したと伝えられ、現本堂の棟木銘には安貞元年(1227)、に堂を建てて仏像を安置した事が記されている。
 一具の十大弟子像と共に建保、承久の間に本像が造立されたと見られる。像内に「巧匠法眼行快」の銘があって、作者が明らかである。
 行快は快慶の弟子で、承久元年(1219)、の長谷寺本尊造立には輔佐仏師として快慶を助けた事がしられ、建長、文永再興の蓮華王院千体仏中にも遺作一体がある。
 本像の作風はまさに師風を祖述するものといえる。その署名の仕方も師匠の「巧匠法眼快慶」という書き方を真似ている。
 老境の快慶が、本尊像の直接の担当は弟子にあて、自らは十大弟子二体を手掛けると共に、全体を統括したであろう。寄木造。玉眼嵌入。
「運慶と鎌倉彫刻」 小学館 1973年より

私 の 想 い

右手は脇を締めて肘を折って前に出し、施無畏印をする。左手も脇を締めて肘を折り、左太腿に着けて、脛の前で手の平を広げて与願印である。
 降魔座に座り、偏袒右肩の衣装で大きく眼を開ける。若々しいお釈迦さまである。

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