古寺巡礼
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仏像名で寺を探す
仏像観て歩き 京都編1

名  称

 だいほうおんじ

大報恩寺

俗称又は愛称

千本釈迦堂と呼ばれる

上京区五辻通六件町西入ル溝前町1306

最寄駅

JR山陰線

開  祖

 

沿  革

千本釈迦堂大報恩寺は今から770余年前、鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺である。

 本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも、両陣営から手厚き保護をうけ、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されている。

 義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、十九才で叡山澄憲僧都に師事、十数年の後この千本の地を得て、苦難の末、本堂をはじめ諸伽藍を建立した。

「大報恩寺」縁起より

 

私の想い

通称千本釈迦堂と呼ばれるお寺である。3時過ぎになってしまった。大きな道路に駐車して、受付で駐車場が何処にあるか聞きに行く。

 うちの(この寺)前の庭が(境内)こんなに広く空いています、前向きに止めてくださいと言って笑った。何んだ境内まで乗入れて良かったのだ。

 目の前の庭と、前向きに入れる車と、前向きな姿勢を掛けて言ったのだと、面白い言い方をする人と思いながら車に戻る。

 車を前向きに入れて、霊宝館に向かう。先程から小便が出たいのに気付いた。トイレに行ってから、ゆっくりと拝観しようともう一度受付に戻って聞いた。トイレは正面の山門の外にあった。

 さて、小便の事まで書くなと言われそうだが、承知で書いている。それは、京都市が観光客のために、自治体として観光スポットに公衆トイレを造って、寺院や観光事業者に負担が掛からないように、敷地外に用意している。流石に観光都市、文化都市の京都市である。ここは山門の前にあった。

 霊宝館に入ると、右側の1列は美女軍団6名、左側の1列はおじん軍団総勢10名である。いずれも、重要文化財に指定された仏像です。美女の作者は定朝さん、おじんの作者は有名な快慶さんである。

 個人の好みとか、ライフワークとか、生き方とか、研究対象とか、調べる対象とかは、いろいろ個人によって変わってくる。

 定朝さんは美女を選び、快慶さんはおじんを選んで制作した。その対象を自分の技量と作風で表現した結果がこの作品群である。

 美女は美女で死ぬまでにもう一度会いに来ますと言い、おじんにも、また、必ず来ますと言った。

 そんな事を思った時に、この説明は写真家に例えれば判り易い。秋山庄太郎は婦人科の大写真家である。土門拳は社会派の大写真家である。女優の写真集と筑豊の子供たちの写真集を一箇所で見たようなものです。比べるのは難しいし、受け取る方の好みで違ってくる。美女も好し、おじんもいい。

 平成19年3月に妻と京都に桜の花見をする事した。その折に千本釈迦堂に立ち寄った。京都周辺の花見には一週間早過ぎた。

どこの花見の名所も蕾ばかりで妻の口からは不平不満がたらたらと出ていた。何とかその口を封じる場所はないものかと思いつつ、美女軍団を思い出し、怒られついでに思い切って立ち寄った。

 予想に反して枝垂桜が三分咲きである。更に霊宝館を拝観して妻から出た言葉は

「綺麗な仏様でしたね」

であった。少しは気分直しが出来たのだろうか。

 今回の訪問ではゆっくりと美女との対話は、妻が一緒で出来なかったが6名の内の聖観音立像はスイスの博物館に外遊中との事でした。

「聖観音さんに付いて一緒にスイスに連れて行って欲しいわ」

と、戯れに言って見た。

「外人はどんな顔で見るやろうか」

「聖観音さんは中でも美人やし、気品もあるのでさぞかし人気があることでしょう。一緒に行って見たかったなぁ」

と、受付の人と話をする。

 平成21年10月に京都・滋賀「仏像観て歩き」・副題「千手観音と十一面観音を訪ねる」と銘打って「仏像観て歩き研究会」の仲間と訪問しました。

 南座からタクシーで大報恩寺まで行った。細い路地の入口に寺の石柱が立っている。今回で三度目の訪問であるが、こちらの門からの訪問は初めてである。

 六観音と十大弟子が私の目当てである。中でも六観音像は私の中では、女性の観音様として存在する。従って、美女六人と壮老僧十名の併せて、十六名に逢いたいと思って来ました。

 最初の訪問が平成16年5月、二度目の訪問が平成19年3月である。二度目の時には京都に桜を観に来たのであるが、一週間位早過ぎた。しかし、ここのおかめ桜は咲いてくれていました。

 大阪の八尾に住んでいたので、八尾から京都は、やはり行き難い。勢い奈良になってしまう。東京に住むようになって、もっと京都に行っておけば良かったと思うのである。

 十大弟子をはじめ本尊の釈迦如来坐像を快慶一門の仏師を動員して、制作したものである。中でも、目犍連立像、優婆離立像の二像には、快慶の墨書銘があるという。

 快慶は、一門を率いて考えたのは、若手の仏師には、本尊の釈迦如来と十大弟子の内では、比較的に若い阿難陀立像や阿那律立像を担当させたのではないだろうか。

 自分と共に長い間制作して来た老仏師には、十大弟子の老僧を担当させたのではないだろうか。そこで老僧の姿とお顔に苦難の皺が表現されて、深みのある老僧となり、老仏師の面目躍如と言ったところではないでしょうか。

 若手仏師の制作した本尊の釈迦如来坐像は、弟子の行快に担当させている。はち切れるばかりの若い釈迦如来坐像である。

 

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十一面観音立像 聖観音立像 准胝観音立像
如意輪観音半跏像 馬頭観音立像 千手観音立像2
千手観音立像
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お礼とお詫びとお断り
当寺の記述を最後まで、ご覧頂きまして誠にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。下記の通り、お詫びとお断り申し上げます。

1.        仏像の写真を紹介出来なかった事です。勝手に掲載しませんでした。
2.        絵葉書、仏像解説書、国宝写真集等々で、有名な仏像については、ご覧になれる機会は多いと思います。
3.    それ等をご覧になりながら、もう一度ここにお越し下さい。 また、別の仏像の楽しみ方が出来ると思います。

4.        ここでは、国宝と重要文化財の指定を受けている仏像を紹介しております。
5.
   「国宝・重要文化財大全」彫刻 毎日新聞社 1998年より選定しました。
6.        像高も上記大全のものを小数点以下切捨てで、記載しました。寺や解説書等と多少違うかも知れません。
7.        掲載した「沿革」と「解説」は寺から頂いた資料や手持ちの解説書からのものを掲載しております。

8.        一番は、実際に寺に行ってご覧になることです。
9.    一つでも好きな仏像を決めて、訪ねると一層「仏像観て歩き」が楽しくなります。      以上