仏像名

ふりがな  しょうかんのんりゅうぞう

大報恩寺
制作年代

重文
鎌倉時代

聖観音立像

様 式

貞応三年(1224)

俗称又
は愛称

製作材質

木造、玉眼
素地

樹 種

像 高

177cm

製作者

肥後定慶作

安置場所

霊宝館

開扉期間

解 説

六観音とは如意輪、准胝、十一面、馬頭、聖、千手をいう。六道に輪廻転生する衆生を救う仏で、それぞれ、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道で苦しむ衆生の救済にあたる。
 治安三年(1023)、に藤原道長は定朝に十五体の丈六金色仏像を造らせて法成寺に安置したが、十五体のうち六観音像六体があった。
 これが六観音像造立の記録として、最も古いが、それが丈六の巨像であるのに驚かされる。六観音は馬頭観音を除いては、慈悲相の仏像であるが、おもに調伏法の本尊に用いられるのが変わっている。
 肥後別当定慶が貞応三年(1224)、に造った像で、大報恩寺に来る前は、足利義満の造営した北野の経王堂にあった。
 六体すべて白木のままであるのは、北野天満宮に関係の深い、寺の仏像であったからであろう。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

私 の 想 い

右手は自然体で肘を折って胸の前で、指先を上にして親指と中指が着く位で、人差指と小指は伸ばして、薬指は少し曲げている。何とも品のあるお手である。
 左手も自然体で肘を折って、お臍の前で手首を上に曲げて、甲を正面に向けて、蓮華の蕾を一輪持つ。この手の仕草も品があり、人柄が滲み出ている。優しい観音様なのでしょう。
 天衣が一重に右肘に掛けられ右肩口に、左肩口から左肘で下に大きく垂れ下り、折れ帰って肘から下に落ちる。裳も長いのを引き摺る様に足元に垂れる。足先だけが見える。
 透かし彫りの舟形光背を背負い、五段の連弁の蓮華台に立つ。美人中の美人である。
「今度、デートして下さいよ」

とお願いして、お顔をのぞくと
「今、しているではないですか」
だと、
「他の、方も一緒ではないですか。二人だけですよ」
と迫るが。
 平成21年10月に京都・滋賀「仏像観て歩き」・副題「千手観音と十一面観音を訪ねる」と銘打って「仏像観て歩き研究会」の仲間と訪問しました。
 六観音を制作した肥後定慶という人と、興福寺の金剛力士像を制作した定慶という人を別人としているようです。そこでこちらを肥後とあえて頭に着けて呼んでいるようです。
 十大弟子の難しいお顔をされた老僧たちと違って、華やかで頬のはちきれんばかりの若さに眼が奪われます。
 快慶一門が十大弟子を造った4年後に六観音像が完成している。私は仏像の研究者ではなく、一人の仏像好きとして、勝手に想像して仏像を楽しんでおります。
 4年後、同じ寺に新たに六体仏像を作成するとなれば、当然快慶に相談があったとものと思われます。そこで快慶の眼に適った人物として、肥後定慶が推薦されたのでないでしょうか。
 何処の解説書でも、慶派仏師の系図を見ても肥後定慶は、快慶とは繋がっていない。弟子ではないにしても、影響下にあった人物には違いない。
 前回平成19年3月に訪問した時には、スイスに親善大使として、ご出張して不在でした。さぞ、たくさんのスイスの方からいろいろな願いごとを授かって来られたことでしょう。
 さて、今日の聖観音様は、一段とお美しいと言いたい。手品師が一瞬で蓮華の蕾を開かせ、咲かせてしまうような場面である。上手く、蕾を開いてご覧に入れることが出来たでしようか。

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