仏像名

じゅつしんりゅうぞう

室生寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

戌神立像

様 式

俗称又は愛称

いぬの神

製作材質

木造、玉眼
彩色

樹 種

ヒノキ

像 高

95cm

製作者

安置場所

金堂

開扉期間

解 説

 室生寺本来の像かどうかは明らかでない(室生村砥取の小堂から移入されたとの伝えもあるという)。いずれも十二支の標識を頭上に着け、岩座上に立つ武装神の姿である。各像は様々の姿勢を取っており、頭髪の形や着衣の形制にも変化を付けている。
 各像は檜材製で、玉眼を嵌入する。基本的には頭・体の幹部を一材から造り、前後に割矧いで内刳りのうえ、割首するものである。
 表面には白土地彩色を施し、文様には切金も用いているが、全体に剥落が著しい。岩・框からなる台座は各像分とも後補である。
 各像の様々な個性を造り分けながら現実感に富んだ表現は、興福寺東金堂像、京都・浄瑠璃寺旧蔵と伝える一具像など、鎌倉時代初期に慶派仏師が製作したと見られる十二神将像なるものであるが、やや誇張が過ぎ、ぎこちなさも見えるところから、鎌倉後期、十三世紀末ごろに下る時期の製作と見られる。
「特別展 大和古寺の仏たち」 1993年 東京国立博物館より

 薬師如来の眷属として十二の方角を護る武将で、頭に十二支の標識を着けている。各像ともに寄木造に彩色を施したものであるが、いまは剥落が進んでいる。
 いささか誇張のある姿態には鎌倉時代中期の特色が著しく、この期の代表作である。
「女人高野 室生寺」2005年より

私 の 想 い

 右手は脇を締めて、肘を引きVの字に折って、手の甲を前に向けて人差指を立てて一番を示す。手の平を前に向けずに、甲の方で示すところに気障っぽさを感じる。腰を捻っているところにも気障っぽさがうかがえる。
 気障を売り物にしていた群馬県出身の小円遊さんも若くして亡くなってしまった。あの人の気障は、ワザと気障っぽくしていたが、どこか自然さが身に着いていた。
 ところが、当代の大看板になった円菊さんの気障は、若い時には気障が見得見得で、不自然に感じられ、受け入れ難かった。志ん生さんの最後の弟子という。
 永年の気障が身に着いて来たのか、こちらがそのつもりで観るせいか、気障な仕草をしない円菊さんは許せなくなっている。
 ここまで来れば、気障も身に着いたと言えるのかも知れない。きっと、円菊さんがここ一番を決めるとしたら、この格好である。間違いない。
 平成22年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
 気障に似て、派手な服装が売りものの寿輔さんも、郷里の大看板であった今輔さんのお弟子さんと聞く。赤や黄色の羽織で登場する。好きな落語家の一人である。そのお弟子さんが大看板今輔の名を継いだ。
 先代はダミ声の大きな声で、伴奏の口三味線で繰り広げる高座「お婆ちゃんシリーズ」が持ちネタである。以来この一門が会長の座を占めて来た名門である。
 
かつて、創始者の柳家金語楼さんは、「落語芸術協会」の落語の芸術家を強調していました。もちろん、真意も皮肉も込められての命名であったのだろう。
 新作落語の多いのもこの協会の特徴かも、金語楼さんに始まり、先代今輔さん、米丸さん、柳昇さんと大看板名人が続く。当代今輔も精進して、郷里の先代を追い越す勢いで頑張って欲しいものである。

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