仏像名

しんしんりゅうぞう

室生寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

辰神立像

様 式

俗称まは愛称

製作材質

木造、玉眼
彩色

樹 種

ヒノキ

像 高

100cm

製作者

安置場所

金堂

開扉期間

解 説

 室生寺金堂の須弥壇を囲む供物壇の正面内側台上に横一列に、並べられている十二神将像の内の二躯である。室生寺本来の像かどうかは明らかでない(室生村砥取の小堂から移入されたとの伝えもあるという)
 いずれも十二支の標識を頭上に着け、岩座上に立つ武装神の姿である。各像は様々の姿勢を取っており、頭髪の形や着衣の形制にも変化を付けている。今回陳列の額儞羅大将は午の、標識を着ける像で、いずれも炎髪を表わし、甲の下に裾を垂らした衣を着ける。
 額儞羅大将の袖なしの上半身の衣、また袴を着けずに素足に長靴を履く姿は変わっており、典拠はもとより類例もあまり知られない。
 各像は檜材製で、玉眼を嵌入する。基本的には頭・体の幹部を一材から造り、前後に割矧いで内刳りのうえ、割首するものである。
 表面には白土地彩色を施し、文様には切金も用いているが、全体に剥落が著しい。岩・框からなる台座は各像分とも後補である。
 各像の様々な個性を造り分けながら現実感に富んだ表現は、興福寺東金堂像、京都・浄瑠璃寺旧蔵と伝える一具像など、鎌倉時代初期に慶派仏師が製作したと見られる十二神将像なるものであるが、やや誇張が過ぎ、ぎこちなさも見えるところから、鎌倉後期、十三世紀末ごろに下る時期の製作と見られる。
「特別展 大和古寺の仏たち」 1993年 東京国立博物館より

 薬師如来の眷属として十二の方角を護る武将で、頭に十二支の標識を着けている。各像ともに寄木造に彩色を施したものであるが、いまは剥落が進んでいる。
 いささか誇張のある姿態には鎌倉時代中期の特色が著しく、この期の代表作である。
「女人高野 室生寺」2005年より

私 の 想 い

「手前、生国発するところ上州に御座んす。上州、上州もいささか広ろう御座んす。水澄む利根と烏川を産湯に使い、軍配山を枕に、白衣観音を子守に、名物の空っ風でシモヤケ、アカギレ、ヒビはお手の物に御座んす」
と、口上を一くさり申し上げる。それにしては、態度の大きい姿勢である。もう少し、膝を折って腰を低くしなければいけない。
 平成22年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
 左腰を引き半身にして、右手は肘を伸ばして腹の前で拳を握って構える。左手は引いた左腰に拳を当てて身構える。やくざの口上にしては腰が高い。しかし、上州人なら、これも有りかな。
 焔髪の髻もほっかりと穴が空き、何もない。本当は辰が入っていたはずなのだ。辰というものは想像の動物であり、当時はどのように想像していたのか。
現在では、龍として、身体は大蛇のように、頭は角があり、牙があり、目の玉が飛び出て、長いベロを出すものとして定着している。その差がどんなものかに興味が沸く。知る手掛かりを失ってしまった。残念。

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