仏像名

しゃかにょらいりゅうぞう

室生寺
制作年代

国宝
平安時代

釈迦如来立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
彩色

樹 種

像 高

237cm

製作者

安置場所

金堂

開扉期間

解 説

 貞観時代の末期ないし、次の藤原初期頃になると、仏像は、次第に、その初期のものに見られた様な激しさはなくなり、体付きも顔も丸みが加わり、柔らかくなる。表情も優しい。
 雨乞いの霊場として著名な室生寺金堂の釈迦如来なども、その頃の制作と考えられる。華麗な板光背を背負い、肉身は金、衣は朱に彩られた朱衣金体の像である。両股を隆起させ、それに沿うて、細い襞を刻んでいるが、その衣文線は初期のものに比べ繊細になり、顔付きも、丸く温和になっている。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

 頭部から足元までを、榧の一材から彫り出した堂々たる平安初期の代表的な一木彫成像である。頭・体の均斉も整った量感あふれる荘重な像で、肉身は後に補修され漆のために黒くなり、衣は朱色でちょっと異様な感を与えるが、腹下にY字型にためる衣文は漣波式ないしは複翻波式と言われる特有な彫法によるもので、室生寺様と呼ばれている。
 またその衣文線に沿って、細い切金が置かれているのも、この像独特のものである。光背は、これも特有の極彩色の板光背で、大きな蓮弁形の船形光背に七仏薬師や宝相華・唐草文などの華やかな繧繝(うんげん)彩色である。
「女人高野 室生寺」2005年より

私 の 想

 右手は脇を締めて肘を折り、前に出し手首を返して、手の平を正面に向け施無畏印である。手の平の大きなところは釈迦如来様らしい。
 五指を開いているのだが、中でも中指と薬指のところが少し離れている。指先も少し外に向く。
 左手は脇を締めて肘をくの字に曲げ、指先を下にして手の平を正面に向ける。中指と薬指を深く曲げ、おやゆび、人差し指、小指を伸ばす。
 腰の位置の高い足長の仏像である。太腿から膝下までを襞を刻まずに平滑なものに仕上げている。
 Y字に刻まれた衣文と、平滑に大きな楕円の面が、対照的になって下半身を強調している。また、通肩の衣は大きく胸元を開け、胸をはだけて三筋に彫った腹まで観えている。
 衣装は赤味を帯びているのに対して、お顔や胸の肌が黒く見えるのも、脇侍と違って目立っている。
 お釈迦様のお顔は、大概面長な顔の像が多いが、この方は丸顔で福与かである。この方以後の釈迦如来は、清凉寺式が流行して、面長なお顔と丸首の衣が主流になる。
 平成22年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
 素人の勝手な解釈で申し訳ないが、どう見ても釈迦如来としては不自然な姿に観える。状況証拠としても、十二神将がある。光背に七仏薬師が配されている。脇侍の組み合わせも不自然である。こうなると釈迦如来でなくて、薬師如来で在ったのではないかと思えて来ます。左手に薬壷があれば完全に薬師如来なのだが、その痕跡はないのだろうか。
 左手の指に注目したい。中指と薬指を曲げている。薬師如来像が左手に薬壷を持つ時には、必ず中指と薬指を曲げて、薬壷が落ちないように防ぐ役目をしている。この指の形で薬壷を持たせれば完全な薬師如来像である。
 飢饉と日照りで一刻も早く雨が欲しいと思っていた農民の願いを叶えるために、左手の薬壷を外して、薬師如来を釈迦如来に変身して貰ったら、一転空は掻き曇り、雨を降らすことに成功しました。それ以来薬師如来は名ばかりで、何時の間にか、釈迦如来を演じるようになってしまったというのが、真相ではないでしょうか。
 薬師如来像を釈迦如来像に代えてお祀りしても、何も不自由ではない。小像ながら別の薬師如来像を用意したので、薬師如来はそちらの小像に御願いしましょう。本来は薬師如来で在った像には、釈迦如来になって貰いお祀りします。こうした成り行きで薬師如来が釈迦如来に変身したのではないでしょうか。

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