仏像名

ししんりゅうぞう

室生寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

子神立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造、玉眼
彩色

樹 種

ヒノキ

像 高

104cm

製作者

安置場所

金堂

開扉期間

解 説

 室生寺本来の像かどうかは明らかでない(室生村砥取の小堂から移入されたとの伝えもあるという)。いずれも十二支の標識を頭上に着け、岩座上に立つ武装神の姿である。各像は様々の姿勢を取っており、頭髪の形や着衣の形制にも変化を付けている。
 各像は檜材製で、玉眼を嵌入する。基本的には頭・体の幹部を一材から造り、前後に割矧いで内刳りのうえ、割首するものである。
 表面には白土地彩色を施し、文様には切金も用いているが、全体に剥落が著しい。岩・框からなる台座は各像分とも後補である。
 各像の様々な個性を造り分けながら現実感に富んだ表現は、興福寺東金堂像、京都・浄瑠璃寺旧蔵と伝える一具像など、鎌倉時代初期に慶派仏師が製作したと見られる十二神将像なるものであるが、やや誇張が過ぎ、ぎこちなさも見えるところから、鎌倉後期、十三世紀末ごろに下る時期の製作と見られる。
「特別展 大和古寺の仏たち」 1993年 東京国立博物館より

 薬師如来の眷属として十二の方角を護る武将で、頭に十二支の標識を着けている。各像ともに寄木造に彩色を施したものであるが、いまは剥落が進んでいる。
 いささか誇張のある姿態には鎌倉時代中期の特色が著しく、この期の代表作である。
「女人高野 室生寺」2005年より

私 の 想 い

「あれ。雨はあがったかな」
と、左手の平を天にかざす。
「よし。これで明日は家に帰れる」
と、長かった現場勤務も今日で終わり、久し振りに我が家に帰れるうれしさが、空を見上げる顔に出ている。
 平成22年11月に遷都1300年「仏像観て歩き」として訪問した時には、次のように書いている。
 十二神将像は古くは奈良時代(奈良・新薬師寺像)からあり、薬師如来の守護神となっている。平安時代(京都・広隆寺像)にも造られたが、未だ干支とは結び付いてはいない。しかし、鎌倉時代から干支と結び付いて、方位と時間とも結び付いて多く造られる。そして、頭上の兜や髻に干支を模したエンブレムを着けるようになった。その結果、以後の像が尊名と像名を入り違えた間違いが無くなる。
 十二神将像の楽しみの一つにエンブレムがどんな姿であるかである。それらしい姿で描かれているか。ねずみは、うしは、とらは、となって行く。
 もう一つの楽しみは、どんな姿の像があるかということである。仏像は尊名によって頭や座り方、立ち方、手の印相、持ち物が限定されてしまう。十二神将像はそうした規制がないか、在っても守護神であるから、武人らしさ、兵士の姿でなければならない。それ位で、後はどんな格好でも許される。仏師発想の思うがままに、造れる数少ない仏像である。どんな独創的な姿をしているかを探すのも楽しみになっている。
 エンブレムの無い新薬師寺像は、寺伝名と指定名が違い紛らわしい。干支と無関係であった時代に造られた古いものであると強調していながら、尊名札の脇に干支を記入して、紹介する矛盾をどう説明するのだろうか。
 さて、室生寺の十二神将像はユニークな像が在って楽しい。偉い人五人の前に横一列に並んでお守りしている。十二人が揃ったことは、何年ぶりかの珍しいことだと寺の人は言っていた。数で展覧会の賑わいを演出するのに、格好の大きさであり、輸送に耐える大きさで便利に使われるのだろう。これからも、いろいろな展覧会で出逢う事でしょう。
 戦闘モードというよりも、休息のときに見せる安堵感を表した兵士の瞬間を捉えている。 怒りを表現した十二神将像も好いが、そればかりでも飽きる。自由な発想の出来る十二神将像で仏師達の伸び伸びとした仏像の姿態を同時に楽しみたい。そんな意味でも、この像は兵士達が見せる一瞬を巧く捉えていて好きな像である。

十二神将子神立像画像一覧
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