仏像名 |
ふどうみょうおうざぞう |
醍醐寺 制作年代 |
重文 鎌倉時代 | |||
不動明王坐像2 | ||||||
様 式 |
建仁三年(1203) | |||||
俗称又 は愛称 |
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製作材質 |
木造、切金文様 玉眼、彩色 |
樹 種 |
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像 高 |
59cm |
製作者 |
快慶作 |
安置場所 |
霊宝館宝聚院 | |
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開扉期間 |
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解 説 | ||||||
不動さんは髪をひとつに結んだ弁髪しいう髪型。裙を巻いて条帛をつけ、瓔珞や腕臂釧をつけるのは菩薩と同じ。右手には両刃の剣、左手には索をもち、火焔を背負うのが不動明王の代表的なスタイル。快慶らしい優美さと全体の調和を感じさせる不動さん。 | ||||||
私
の 想 い | ||||||
平成26年7月に「法隆寺夏季大学」入校の際に奈良に、行ったのでその時に奈良国立博物館で開催中の醍醐寺展で拝観する。 醍醐寺には、先に納めた弥勒菩薩坐像、建久三年(1192)もある。そして、この不動明王坐像と2躯目になる。師匠の東大寺重源の出身大学への関係で、推薦されての納入となったのだろう。それだけ、重源と快慶の師弟関係が深かったという事である。 また、運慶と快慶の比較では、 不動明王像は、 運慶は、坐像は無く、立像が、静岡・願成就院像(三尊形式)、神奈川・浄楽寺像。 快慶は、立像は無く、坐像が、この醍醐寺像。 弥勒菩薩像は、 運慶は、弥勒菩薩像は無い。偉い弥勒仏坐像(弥勒如来)が、奈良・興福寺北円堂像である。 快慶は、立像はボストン美術館像。坐像が、この醍醐寺像。 同尊同姿勢の両者の像は中々少ない。 阿弥陀如来像は、 運慶は、坐像が静岡・願成就院像、神奈川・浄楽寺像。立像は無い。 快慶は、坐像は、何れも未観だが、広島・耕三寺像(宝冠)、京都・松尾寺像。 立像は(三尺阿弥陀)、奈良・西方寺像、京都・遣迎院像、奈良・安養寺像(田原本町)、 和歌山・遍照光院像(高野町)、奈良・東大寺俊乗堂像、 奈良・西方院像(唐招提寺子院)、奈良・光林寺像(川西町)、 和歌山・光台院像(三尊形式)。 大日如来坐像は、 運慶は、坐像は、奈良・円成寺像、東京・真如苑像、栃木・光得寺像、 快慶は、坐像は、滋賀・石山寺像、 地蔵菩薩像は、 運慶は、坐像は、京都・六波羅蜜寺像、立像は無い。 快慶は、坐像は、京都・如意寺像(京都府文化財)、 立像は、バーク・コレクション、奈良・東大寺公慶堂像、藤田美術館像(大阪市)、 である。 ギョロ眼、頭頂に蓮華座を載せ、上歯で下唇を噛む大師様の口元、俵縛りに結んだ弁髪が胸元に筆先の様に垂れ下がる。真面目そうに睨む目が返っておどけた様にも観える。 右肘を異常なほど横に張り、三鈷剣を持つ。柄元は組み上げた左足の裏に着いている。 左手は肘をV字に折り、手の平を上に向け羂索を開く様に握る。胸には瓔珞も身に着け、中々の洒落っこきのお不動様である。 藪睨みの多い、お不動さんであるが、この方は更にユーモラスで、ギョロ目で左前方を見る。快慶作という。 |
不動明王坐像2画像一覧 |
不動明王坐像2 |
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不動明王の考察 |