仏像名 |
やくしにょらいざぞう |
醍醐寺 制作年代 |
国宝 平安時代 | |||
薬師如来坐像 | ||||||
様 式 |
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俗称又 は愛称 |
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製作材質 |
木造 漆箔 |
樹 種 |
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像 高 |
176cm |
製作者 |
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安置場所 |
霊宝館 | |
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開扉期間 |
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解 説 | ||||||
醍醐寺は理源大師が貞観十六年(874)、に准胝、如意輪の両観音像を刻んで、山上の一小庵に安置した事に始まり、密教寺院らしく、まず山上の上醍醐に伽藍が建ち並んだ。 この薬師三尊像も、醍醐天皇の御願堂として延喜七年(907)、に聖宝が上醍醐に造営した薬師堂の本尊で、光背に六体の小薬師像を着けた七仏薬師像である。 平安初期に創立された寺では、七仏薬師を本尊にしたところが多い。空海に賜わる前の東寺、最澄が開いた延暦寺をはじめとして、地方では奈良の室生寺、大阪の獅子窟寺、岩手の黒石寺などが、挙げられ、諸国の国分寺の一部や京都の神護寺も、本尊は七仏薬師像であったと考えて良い。 奈良後期に七仏薬師経が輸入されると、この像の持つ密教的な呪力に対する信仰が、日本人の神に対する信仰と、一致する点が多かった事から、平安前期に急速に広まっていった。 七仏薬師を現わすには、この像の様に光背に六つないし七つの薬師の小像を着ける場合と、七体の薬師如来を揃える場合とがある。 この像の森厳な、お顔やたくましい体躯には、内に秘めた呪力の強力さが表わされていて、当初の薬師信仰の様子をしのぶことができる。 「京都の仏像」 淡交社 1968年より 延喜九年(909)、に制作されたと考えられる上醍醐薬師堂の本尊薬師如来像である。この像では、まだ貞観風が強い。体躯は肥満し、顔も、がっちりとしていて意欲的である。十世紀前半においては、まだ、こうした作風のものが、主流を占めていた事をこの像が示している。 「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より 醍醐寺は、空海の実弟真雅の門弟である聖宝が、貞観年間(859〜877)に開いたと伝える。笠取山上に位置するこの寺は当初、聖宝の私的な寺だったようである。しかし、延喜七年8907)醍醐天皇の御願寺となり、天皇の発願で薬師堂、五大堂が建立された。この薬師三尊像はその薬師堂いわゆる上醍醐薬師堂の本尊である。完成は延喜十三年であるが、同九年に聖宝は没しており、その後は弟子で初代座主となる観賢が引き継いだ。 作者を聖宝の弟子僧会理とする史料があるが、確証はない。むしろ少し後の醍醐寺の史料の中に、宣旨で「造醍醐寺」行事を任命しているものがあるので、官営の造仏組織が置かれた可能性が高い。その一方で、この時期には僧名をもつ仏師の活動がみられる。真言系寺院あるいは醍醐寺に属する仏師がいたことも考えられる。 中尊は、頭から体の中心部分を一材から造り、後頭部と背中から内刳りを施して蓋板をあてる。頭部が非常に大きく、上半身の立ち上がりに比べて、脚部の奥行きが深い。そのため、両腕とも肘から先が異様に長い。肉付きよく、迫力のある造形は十世紀初頭においては最高水準に属するものといえる。 両脇侍像は小振りであるが、同時期の作と見られる。大きく張った胸、くびれる腰、やわらかな肉付きの腹、そして左に腰を捻って、左脚に重心をかけ、右脚をわずかに曲げる姿勢が見事に表されている。胸飾りを体幹部材から彫出する点など、奈良時代の像に通ずる。いずれも一木造で、背面から内刳りを施し、蓋板を当てる。 なお、中尊の光背、化仏は当初のもので、特に化仏六躯は中尊とよく似ている。 「空海と密教美術」展より 東京国立博物館 2011年 | ||||||
私
の 想 い | ||||||
右手は肘を右足太腿に着けて、直角に曲げて手を前に出す。親指で中指を摘んで、人差指、薬指が反り返り、小指は更に大きく反り返る。 左手は左太腿に腕を着け、手の平に薬壷を載せる。降摩座に座り、左膝の上に右足先が乗る。偏袒右肩の装束で、肉髻の中央が赤く輝く。二段の蓮華座に座る。威厳のあるお薬師さんで、特に右手が物を言う。壮年期の充実した年代の薬師如来である。 平成23年7月に「空海と密教美術」で、東京国立博物館に来た時には、次のように書いた。 この薬師三尊像は、本尊を中心に左右対称形に出来ている。両脇侍像は、本尊に近い方の手(日光は右の手、月光は左の手、つまり、内側の手である。)を、肘を伸ばして下に降ろし、反対に本尊から離れた方の手(日光は左の手、月光は右の手、つまり、外側の手である。)を、肘を曲げて抱え込む。 この形の三尊像を薬師如来および両脇侍像を「薬師如来内伸形左右対称形の三尊像」と呼ぶようにしている。 今回の「空海と密教美術」展で来ている仁和寺の国宝阿弥陀三尊像では、外側の手を伸ばした「阿弥陀如来外伸形左右対称形の三尊像」となる。しかし、ここで難しくしているのは、仁和寺の三尊像は、聖観音像と勢至菩薩像が入れ替わっている。入替えると「阿弥陀如来内伸形左右対称形の三尊像」になってしまう。三尊像を拝観する時の楽しみとしては、左右対称形かどうか、それ以外かを観るのも一つの楽しみである。 また、この三尊像は、本尊と両脇侍像の大きさがアンバランスである。本尊が大きく、堂々としているのに対して、両脇侍像が小さくて優しいことである。先年に、「醍醐寺展」を東京で開催するので、上醍醐の薬師堂から降ろして以来、薬師堂に戻さずに、下の「霊宝舘」に安置している。 怖いお顔の薬師様として私は、京都・神護寺像、醍醐寺像、奈良・元興寺像の三躯の前に立った時には、日頃の反省を誓うようにしている。 |
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薬師如来画像 |
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