仏像名 |
ふどうみょうおうざぞう |
醍醐寺 制作年代 |
重文 平安時代 | |||
不動明王坐像3 | ||||||
様 式 |
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俗称又 は愛称 |
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製作材質 |
木造 彩色 |
樹 種 |
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像 高 |
86cm |
製作者 |
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安置場所 |
霊宝館宝聚院 | |
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開扉期間 |
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解 説 | ||||||
初代醍醐寺座主観賢が建立した上醍醐の中院堂と呼ばれるお堂の本尊だったもの。五大明王像が一具で揃う例としては東寺講堂像に次いで古い。顔の造作が大きく、面部いっぱいに広がる点、ことに見開きとふくらみの大きい目、手足が長く細い点に特色がある。衣文は要を得ているが形式化しており、図像のように整った印象がある。それだけに柔らかみと迫力は薄い。これらとよく似ている像が安祥寺の四天王像である。顔立ち、見開きが強く、眼球が盛り上がる目、そして顔の側面観がよく似ている。同じ工房の作とみられよう。この工房は、醍醐天皇御願の上醍醐薬師堂の薬師三尊像の作者とは別系統と考えられる。 上醍醐五大堂の像は大威徳明王像のみが古い。その形は東寺講堂像と同様で脚を折って座った水牛に乗り、明王は六本の脚のうち左前列の脚のみ水牛の背の上に横にする。一方、旧中院堂像では水牛は立っており(現在の水牛は後補、しかし「図像抄」などから当初像も立っていたことが知られる)、明王の脚は左右とも前列は趺坐する。軍茶利明王像の左右第一手の形も東寺像以来胸前で交差させるのが定型になったが、旧中院堂像ではめずらしい印を結ぶ。しかし、これは左第一手上膞部(肩から肘までの間)半ばより先が後補なので、当初からかどうか確認できない。 それぞれカヤまたはヒノキの一木造。各腕を矧ぐ。不動明王坐像は、両脚部も別材。それぞれ背面(不動は地付からも)から内刳りを施す。 「空海と密教美術」展より 東京国立博物館 2011年 | ||||||
私
の 想 い | ||||||
右手は肘を張って、右太腿に剣の元を着けて剣を握り、剣先を真上に立てる。左手は肘を左太腿に着けて前に出し、手の平を上にして羂索を握る。眼は大きく繰り剥き、暗い中でも異様に光る。不動明王は五大明王の中でも大将である。 |
不動明王坐像3画像一覧 |
不動明王坐像3 |
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不動明王の考察 |