仏像名 |
ふりがな せんじゅかんのんりゅうぞう |
蓮華王院 |
重文 |
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千手観音立像 |
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様 式 |
長観二年(1164) |
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俗称又 |
製作材質 |
木造、玉眼 |
樹 種 |
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像 高 |
165〜 |
製作者 |
安置場所 |
三十三間堂 |
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開扉期間 |
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解 説 |
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124躯 千体観音像はいずれも等身の立像で、工法的には寄木造りの漆箔像である。その中124体が創建(長寛二年)時のもので建長(1248)の火災時に搬出され、それらが手本になって800数十体の再興像が造仏された。 蓮華王院の千体千手観音堂は長寛二年(1164)、後白河法皇の御願により造立された。その後建長元年(1249)、に火災で焼け、復興造営が同年三月に始められて文永三年(1266)、に完成した。 |
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私 の 想 い |
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平安時代の技術の高い仏像を消失後も、鎌倉時代に繋げて、こうして現在ここに見る事が出来る。平安時代といい、鎌倉時代といい、こうした大きな事業を後世に残す事が出来る余裕が、まだ、この両時代にあった。また、仏教にもそれだけの力があった事になる。 |
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