仏像名

ふりがな  せんじゅかんのんりゅうぞう

蓮華王院
制作年代

    重文
平安時代

千手観音立像

様 式

長観二年(1164)

俗称又
は愛称

製作材質

木造、玉眼
漆箔

樹 種

像 高

165〜
168cm

製作者

安置場所

三十三間堂

開扉期間

解 説

124躯

千体観音像はいずれも等身の立像で、工法的には寄木造りの漆箔像である。その中124体が創建(長寛二年)時のもので建長(1248)の火災時に搬出され、それらが手本になって800数十体の再興像が造仏された。
 千体仏は各々、形式上はみな一様だが、お顔の表情や体躯の量感、あるいは裳壁の表現などに微妙な違いが見られる。
 たとえば堂創建時の像がいかにも柔和な藤原彫刻の作風を示すのに対し、鎌倉期の再興仏は、古仏の作風を踏襲しながらも、写実(迫真的)の新風を加味するなだ時代の特色と作者の個性をにじませており、千体仏の中には会いたい人の面影に似た観音像が必ず一躰は奉られていると言われている。
 千体仏の法量については大同小異なので「代表四作」についてその概要を示す事とする。
作例
1.長寛仏(第160号尊)創建時の造像の特徴を最も良く残すもので美術的にも優
  秀と
される像。
2.湛慶作(第10号尊)再興時の大仏師で中尊をはじめ立像九体を作製した慶派の
  最長
老湛慶の像。
3.隆円作(第330号尊)在京仏師円派の上首で、一派を率いて造仏に参加し、二
  十二
体を自刻した隆円の像。
4.院賀作(第140号尊)造仏師院派の代表的仏師で藤原様式を遵奉する最も素直
  な作
者で十体を手掛けた院賀の像。
「蓮華王院三十三間堂」より

 蓮華王院の千体千手観音堂は長寛二年(1164)、後白河法皇の御願により造立された。その後建長元年(1249)、に火災で焼け、復興造営が同年三月に始められて文永三年(1266)、に完成した。
 中尊千手観音坐像の左右に千体の千手観音(その中に百二十数体の焼け残りの長寛仏を含む)を安置した、さまは真に壮観である。
 建長再興の修理大仏師は法印湛慶、その一門に院派・円派と当時の仏師界の総力がこの事業に集中されている。
「仏像ガイド」 美術出版社 1968年より

私 の 想 い

平安時代の技術の高い仏像を消失後も、鎌倉時代に繋げて、こうして現在ここに見る事が出来る。平安時代といい、鎌倉時代といい、こうした大きな事業を後世に残す事が出来る余裕が、まだ、この両時代にあった。また、仏教にもそれだけの力があった事になる。

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