仏像名

 ふくうけんじゃくかんのんぼさつりゅうぞう

広隆寺
制作年代

重文
平安時代

不空羂索観音菩薩立像

様 式

俗称又
は愛称

製作材質

木造
古色

樹 種

像 高

313cm

製作者

安置場所

霊宝殿

開扉期間

解 説

天平時代の作で、八臂の立像であり、全身はすらりと伸び、均斉のとれた端麗な姿で、顔は高雅、肉付きは引締っていながら弾力性を感じ、贅肉を一切作らぬ巧妙な作り方である。又、衣紋の彫り方も強い隆起を示す褶襞と、所々渦文を表わす手法により柔軟流麗である。
 光背は円形光背のまわりに五つの火炎を付けた板光背で、中央に八葉蓮華を半肉彫りで表わし、その周囲に唐草文様や火炎を描いた色彩のあとが残っている。
「広隆寺縁起より」

 この像は現在講堂に安置されているが、もとは奈良末期に造られてから後、長く金堂に安置されていた。
 十一面、千手両観音と同様雑密像で、八臂を持つ不自然な姿で長身の身体は少年の様に柔らかそうで、表情も明るく、雑密像に良く見られる暗い感じは全くない。
 古い時代の木彫像の内にも、法隆寺夢殿観音像や百済観音像の様に長身の像があるが、この像の様な雑密像を長身に造るのは、材料に用いた木が由緒ある霊木であった事を想像させる。
 雑密像は奈良末期から山林にある寺で多く造られ、神仏融合の先駆的な役割を果たした仏像であったので、霊木を崇拝する固有信仰に影響され、霊木で仏像を造る事が多かったのである。
 この像は後に彩色を施されたが、当初は白木のままの檀像であったらしく、ここにも雑密像の特色が表われている。
「京都の仏像」 淡交社 1968年より

私 の 想

 中央の合掌する手の間が空いている。東大寺の三月堂の不空羂索さんも手の間が空いていて、水晶の珠が間に挟んであるという。
 ここの不空羂索さんは挟んでいないようだ。八臂で二目である。名前は不空羂索だが、羂索は持っていない。第一手は両手で合掌、第二手で戟を持つ、両手とも親指と中指で戟の柄を握る。他の三指は撥ね上げている。
 第三手は下に下げて、手の平を開いて、与願印、残る手で右は、太鼓の撥を握り、左で蓮華の花と蕾を持つ。五段連弁の蓮華台に立つ。
 平成21年10月に京都・滋賀「仏像観て歩き」を「仏像観て歩き研究会」の仲間と一緒に拝観旅行を行いました。その時には次のように書いている。
 どうしても、東大寺法華堂の像と比較したくなる。
所蔵寺院     像高     制作材質      制作年代  目と手は  指定
東大寺法華堂   362cm  脱活乾漆造、漆箔  奈良時代  三目八臂  国宝
広隆寺      313cm  木造、古色     平安時代  二目八臂  国宝
である。大きな違いは、名前にある羂索を広隆寺像は持っていないことです。


不空羂索観音立像画像一覧
不空羂索観音立像
広隆寺に戻る
広隆寺所蔵仏像
講堂
阿弥陀如来坐像  虚空蔵菩薩坐像  地蔵菩薩坐像 
霊宝殿
阿弥陀如来立像 大日如来坐像1 大日如来坐像2  菩薩立像 
千手観音立像 千手観音坐像  聖観音菩薩立像 文殊菩薩坐像
不空羂索観音菩薩立像 地蔵菩薩立像  地蔵菩薩坐像 不動明王坐像
弥勒菩薩半跏像1 弥勒菩薩半跏像2 弥勒菩薩坐像3 毘沙門天立像
持国天立像 増長天立像 広目天立像 多聞天立像
吉祥天立像1 吉祥天立像2 吉祥天立像3 吉祥天立像4
吉祥天立像5
薬師如来立像  日光菩薩立像  月光菩薩立像 
十二神将
宮毘羅立像 伐折羅立像 迷企羅立像
安底羅立像 額爾羅立像 珊底羅立像
因達羅立像 波夷羅立像 摩虎羅立像
真達羅立像 招杜羅立像 毘羯羅立像
桂宮院本堂
如意輪観音菩薩半跏像 
広隆寺に戻る