仏像名

ふりがな ごぶじょうりゅうぞう

興福寺
制作年代

国宝
奈良時代

五部浄立像

様 式

天平六年(734)

俗称又
は愛称

製作材質

脱活乾漆造
彩色

樹 種

像 高

48cm

製作者

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

この八部衆像は、天平六年(734)、に興福寺内に建てられた西金堂の本尊釈迦像を取巻く群像として造られたものである。
 西金堂は、承治四年(1180)、に焼け、その後も再度火災に見舞われているが、八部衆像は、五部浄立像が胸から下を失っているほかは、阿修羅立像、摩睺羅立像、鳩槃茶立像、緊那羅立像、迦楼羅立像、乾闥婆立像、畢婆迦羅立像の七像は、かなり完全な姿で残っている。この名称には疑問があるが、ここでは寺伝に従う。
 造法は、脱乾漆造といって、まず泥土で像の形を造り、その上に麻布を漆で貼り、それが乾いた上に更に麻布を漆で貼り付け、これを何回か繰り返し、乾燥するのを待って内部の土を取り除き、代わりに簡単な木骨を入れる造り方である。
 諸像の彩色は、殆んど鎌倉時代の補彩、体躯にも一部補修があり、阿修羅の右第一手の腕は後のもの。迦楼羅等の腰から左右に垂れる紐帯は、すべて近年の補作である。
「日本の彫刻 上古~鎌倉」 美術出版社 1966年より

 八部衆の「天」に相当し興福寺では八部衆の最初にこの神を置くことによって「天部」像を総称する。
 像は胸から下を失っており、全容は明らかでない。頭上には陸で最大の動物である象の冠をかぶり、正面を凝視する。
「法相宗大本山 興福寺」より

私 の 想 い

 武具から顔を出した感じなのは、両肩から下を失って、頭部のみ残ったためである。象の冠の肝心の鼻の先も欠けてしまった。
 上方を睨む眼差しに、何かをしようと言う決意を感じる眼差しである。口を結んで一点を睨み、精神を統一して決意を固める。何を誓ったのだろうか。この眼差しに励まされ、こちらも頑張らなければと思うのである。
 詰襟の軍服から顔を出す。少年の顔である。八躯の内でこの方だけが、胸から上しかない。下半身を想像するには、余りにも少な過ぎて手掛かりがなさ過ぎる。頭に象の冠を被っているところを考えると、動物の背に乗っていたのだろうか。
 平成21年4月に東京国立博物館で開催の「国宝 阿修羅展」での拝観では、次のように書いている。八部衆については、腰紐がどのようになっているかを調べることをテーマにしました。
 この方については、上半身しかないので対象外です。今回の展覧会では、破損している右手が同時に展示されました。普段は観ることが出来ないものを見せてもらいました。
 肘から先でL字になっていたことが判る。中の木心の木が露出して、縦の木が見える。腕の部分は、乾漆の張りぼての様子を知る上では、貴重な体験である。
 右手は、数を数えようとしているのか、そうでもなさそうである。そんな中途半端な指の形である。

五部浄像画像一覧その1
五部浄像画像一覧その2
五部浄立像
興福寺に戻る
興福寺画像一覧 興福寺の写真が楽しめます。
興福寺花華一覧 興福寺の花華が楽しめます。
興福寺4(国宝館所蔵仏像)
仏頭(銅造) 仏頭(木製)
阿弥陀如来坐像 釈迦如来坐像 釈迦如来立像
薬師如来坐像 千手観音立像 観音菩薩立像 地蔵菩薩立像
天燈鬼立像 竜燈鬼立像 金剛力士(阿形) 金剛力士(吽形)
梵天立像1 帝釈天立像 梵天立像2
弥勒菩薩半跏像 吉祥天倚像 広目天立像
八部衆像
阿修羅立像 五部浄立像 鳩槃茶立像 緊那羅立像
乾闥婆立像 迦楼羅立像 畢婆迦羅立像 沙羯羅立像
釈迦十大弟子
富楼那立像 羅睺羅立像 目犍連立像
迦栴延立像 舎利仏立像 須菩提立像
板彫り十二神将像
毘羯羅 招杜羅 真達羅 摩虎羅
波夷羅 因達羅 珊底羅 額儞羅
安底羅 迷企羅 伐折羅 宮毘羅
興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)


NO14th-butuzou