仏像名

ふりがな あしゅらりゅうぞう

興福寺
制作年代

国宝
奈良時代

阿修羅立像

様 式

天平六年(734)

俗称又
は愛称

製作材質

脱活乾漆造
彩色

樹 種

像 高

153cm

製作者

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

天平六年(734)将軍万福らにより、作られた八部衆の内の一体阿修羅の像である。八部衆は、もと仏教を妨害した邪神であったが、後に釈尊に帰依し、仏法の守護に専心したという。
 阿修羅の手が六本もあるのは、邪神の名残りである。この像の生き生きとした顔付きは、天平初期の芸術の素晴らしさを今日に伝えている。
「日本の彫刻」 久野健編 吉川弘文館 1968年より

 八部衆はいわば鳥獣、怪物の人格化で、空想に基づく彫刻として委嘱である。中でも阿修羅像は三面六臂、普通ならば、たいそう恐ろしげな姿になるところだ。
 ところがこの像は三面を少年の顔に造り、しかもそれが憂いを含んで誠に麗しい。空中に差しのべた、六臂の腕の構成も巧みで、あたかも飛昇するかのように、軽やかな気分がある。名作の多い天平彫刻の中でも、特に感銘の深い作品である。
「仏像の美 見かた考えかた」 社会思想社 1968年より

私 の 想 い

 三面六臂で全体が左右対称になっている。細いしなやかな六臂が大きく伸びて、天を突く。伸びやかな若さ溢れる姿に、共感を覚える。
 正面の顔と合掌する両手に、祈りの原点を見るようで思わずこちらも合掌してしまう。良く観ると、体の大きさに比べて腕が長い。合掌する腕、ガッツポーズの腕、天を支える腕のどれも細くて華奢な腕である。
 阿修羅といえば遮二無二働くイメージであるが、この方は伸びやかで遮二無二といった感じが無い。
 そればかりか、私の中では「阿修羅」さんは、実は、「吉永小百合」さんを重ね合わせて居るのです。興福寺には奈良に行く度毎に、寄っているので、勘定が出来ないくらいお逢いしているのである。
 大きな写真を買って、何時の日からか、額に入れて、秋篠寺の伎芸天像と共に居間に掲げている。
 平成21年4月に東京国立博物館で開催の「国宝 阿修羅展」での拝観では、次のように書いている。
 久し振りの小百合ちゃんには
「お元気でしたか」
「わたしは、いつも元気よ」
だと、
「東京までお越し戴いて、ご苦労様です」
と、労いの声を掛けていた。
 右側3本の腕の生え際を観ることが出来た。脇の下である。背面はセーラー服の後ろのような形に四角い布が、肩から背に架かる。
 もんぺ姿に似た、衣の丸い文様は何を表しているのだろうか。薄暗い中に浮かび上がって観える。
 正に360度から観ることが、出来るということは、阿修羅さんからすれば、中央に立ち四方八方から、見上げられていることになる。
 目線を同じ高さから観ると、下の方を見て居られるように思える。天に羽ばたく姿のようでもあり、上の二臂は、天を支えているようでもある。中央の合掌する手が、少し前に出ているのが気になる。
 後ろに廻って、腰から下の衣文線は、V字形をしており、3本ほどが観える。背のセーラー服の襟には、二本の筋が入っている。背中の真中から天衣が右脇腹を廻り込み、更に前に廻り、左肩に架けている。
 ぞうりを履いており、他の六像(五部浄は除く)とは違っている。本当は遮二無二働くはずの人なのに、あるいは、他の七像は長沓に軍服を着た兵士なのに、この方だけがぞうり履きで、軍服も着ていない少女である。私は、勝手に少女と思っている。少年でも好い。名前とは、正反対の姿の立ち姿に、唯々見惚れてしまうのである。

阿修羅立像画像一覧その1
阿修羅立像画像一覧その2
阿修羅立像画像一覧その3
阿修羅立像画像一覧その4
阿修羅立像画像一覧その5
阿修羅立像画像一覧その6
阿修羅立像画像一覧その7
阿修羅立像
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