仏像名

ふりがな こんごうりきし(うんぎょう)

興福寺
制作年代

国宝
鎌倉時代

金剛力士(吽形)

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造、玉眼
彩色

樹 種

像 高

154cm

製作者

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

もと西金堂にあり春日大仏師定慶の作という。ほぼ信じられよう。ここにあげたのは吽形。動きと力に満ちた肉体表現は鎌倉彫刻の最も好んだところであるが、それの余りに自由な追求は造形的には破綻を起こし易い。
 この像でも力が凝り過ぎて、はげしい動きと調和が取れていない。厳格な建築的制限の中に置かれた東大寺南大門仁王像の優れた表現に比べて、多分壇上に置かれ、如何なる姿勢も取り得たこの二王像の造形的破綻は良い対照を示している。
「仏像ガイド」 美術出版社 1968年より

 もと、興福寺西金堂に安置されていた像である。治承焼失後、本尊釈迦如来像は文治五年(1189)、頃に造立されたと考えられ、また、同堂の薬王、薬上菩薩像が建仁二年(1202)に造られているところから、本像もその頃の作と見て、ほぼ誤りないであろう。
 近世の史料である「興福寺濫觴記」によれば、建久年間(11901198)、春日大仏師定慶の作とするが確かではない。
 本像の胎内からは正応元年(1288)、の修理記が発見されており、また、右足枘にも正応元年の修理銘があり、現存する彩色はこの時のものと考えられる。
 像は、筋肉の隆起や全体のモデリングが、観者を圧倒する力動感に溢れており、怒りの感情も十分に表出されている。
 観面によっては、やや造形的な弱さと形式化への傾向が見られるが、鎌倉時代の金剛力士像中、東大寺南大門像(運慶、快慶)と共に、この時代を代表する優れた作品である。主要な慶派仏師の作であろう。台座は後補。
特別展 鎌倉時代の彫刻」 東京国立博物館 1975年より

私 の 想 い

 右手は肘を後ろに引いている。肘から先が欠落しているので、先がどうなっていたのか判らないが、阿形の例から推し量ると、掌を広げて前を押す構えが高い。
 左手は肘を直角に曲げて、拳を右腰の前で握り、肘で
「どうだ」
と、ものを言わせる。
 顎を前に突き出したような格好である。前の者を睨みつける。肩幅よりも少し大きく足を開いて、体を右に傾けて、右腰を外側に突き出す。衣の裾が左後ろに翻る。

金剛力士(吽形)立像画像一覧その1
金剛力士(吽形)立像画像一覧その2
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金剛力士(吽形)立像
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興福寺4(国宝館所蔵仏像)
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